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都市の使いこなし研究


1 はじめに

僕は、2025年を「都市の使いこなし研究」という考え方を模索し始める年としたい。
この考えに至った前提は、自身が名古屋工業大学社会開発工学科(建築コース)1996にて、当時の指導教員である高橋博久先生が提唱していた「空間の使いこなし研究」である。ここで想定されているのは、建築空間の使いこなしであるが「使いこなし」とはどういうことか。また「使いこなし研究」を提示する前に「使い方研究」に触れておきたい。

2 空間の使い方研究

高橋先生は、(年齢から逆算すると)1960年代頃に、京都大学の西山夘三先生ともコンタクトがあったと聞いている。西山先生(註1)といえば、戦後住宅の研究者、実践者として名高い。庶民の暮らし、住まい方を克明に調査、記述し、その生活の様相から新しい住宅形式を科学的に導いた(1942年に提唱された食寝分離論はあまりにも有名)。
ここでは、庶民が住宅をどのように使っているのかに焦点を当てるアプローチが取られており「考現学」的である。考現学が(物を手掛かりにして過去、昔の様相を解き明かす考古学のアプローチを現代社会に落とし込んだように)現実社会を対象として、記述、考察し、人の行動やファッション、住まい方などを解き明かしていく。こうした考現学的アプローチを土台としつつ、ことに、空間と人間の使い方にクローズアップした方法論を、建築計画、住宅供給論に展開したのが西山先生であり、そこでは「空間の使い方」が問われてきた。

3 空間の使いこなし研究

では「使い方研究」と「使いこなし研究」とは何が違うのか。高橋先生から直接的に解説を受けた記憶はないが、高橋先生のもとで「使いこなし研究」を実践した身として思い当たるのは、次のようなことだ。
ポイントは「人間主体」と「空間の使い方は発展する」という考え方に基づいている点だ。建築計画は、ややもすると「空間決定論」に陥りがちだ。空間が人の行動を規定する。良い空間を提供することで、人々の行動や暮らしが良くなる、と信じてしまいがちなのだ。もちろん、動線が合理的、効率的だとか、様々な要素は考えられるが、世の中はそんなに単純ではない。
自分は、高橋先生のもとで、民家型学童保育所(木造住宅を学童保育所に転用した施設)を研究したが、当時「人々が存分に建物を使いこなしている様」には驚いた。壁を抜いて大きな空間を作る、デッキを張って庭との連続性を生み出す、子どもたちのアクティビティに耐えられるように畳をフローリングに張り替え、土壁には袖壁を貼るといった改造が施されることが民家型学童保育所ではよく行われていた。
誤解を恐れずにいえば(空間決定論に対して)「人間決定論」的だ。人間が、こうしたい(過ごしたい、遊びたい、暮らしたい)、という思いが先で、それに合わせて空間は改変される(リノベーションされる)。しかも、当時研究をしていて気づいたのだが、人間が決定する以上、それを発想する人間の側のリテラシーが高まれば、より大胆に空間は使いこなされる。逆に、人間の側の空間を使いこなすリテラシーが低ければ、与えられた所与の空間用途に従ってしまう(使いこなせない=空間決定論的になる)という関係にある。

4 都市の使いこなし研究へ

裏返すと、人間が空間を使いこなすリテラシーを高めることによって、空間の可能性は無限大に広がっていく。「もっと建物を使いこなそう!」と言うことも可能となる。
自分が学生時代は、この考え方を、建物単体で追い求めていた。自分が大学教員となり、かつ都市空間や都市社会を模索することが主なテーマとなった今、自分がやるべきことは「都市の使いこなし研究」ではないかと思い始めた。かつ、住民参加やワークショップを四半世紀に渡って探究してきた自分だからこそ、この研究アプローチは相応しい気がしてきた。
「え!?都市の使いこなし研究、面白そう」と思ったあなた。連絡お待ちしています。一緒に研究(実践含め)しましょう!

※写真は、UnsplashAva Solが撮影したもの。

【注釈】
註1)西山ゼミの門下生の一人が延藤安弘先生。延藤先生は、筆者・三矢が千葉大学大学院でお世話になった恩師という関係にある。

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