パブリックマインドと事業者(前編)-シン公民連携時代へ
1 事業者市民
2024年6月9日、名古屋都市センターにて、地域まちづくり助成の審査会があった。筆者は同助成制度の審査委員長として、その場に同席した。今回、全体で7つのまちづくり団体からの応募があり、そのうち4つが、事業者(事業性を前提とした団体)が中核的な役割をもつものだった。
地域まちづくり助成は、「地域住民などの多様な主体による、より良い環境を築き、地域の価値を向上させる取り組み(名古屋市HPより)」を応援する制度である。冒頭に「地域住民」の言葉が示しているように、仮に事業者などが連動、連携してくるとしても、それは二次的なものという想定が暗に潜んでいる。しかしながら、今回の審査会では、住民はもちろんのこと、事業者の立場で都市の再生を願い、行動する人々(事業者市民)が増えてきた/顕在化してきた点が印象的だった。
日本全体では、ここ10年くらい「公民連携」という言葉がクローズアップされてきた。また、名古屋のまちづくりに継続的に関わってきた身として、近年、事業者の存在感や重要性が顕著になってきた印象がある(愛知県地方で言えば、名古屋市以外の都市では、中心部のみで公民連携が語られがちだが、名古屋市内ではあちこちで公民連携の議論と実践が起きているのが特徴的)。
そこで本稿では、備忘録的に、自分が考えてきた(いる)公民連携論への私見をまとめておく。
2 事業者/事業性
都市の再生・再創造を巡り、(事業規模の多寡は別として)土地建物を更新する場面は避けて通れない。このため、土地建物を扱う一定の専門性や、それに伴う資金調達が求められ、事業者は、その事業を計画、実行、管理する担い手として期待される。建築や不動産といった、まちのハード事業に直接的に関わる事業者も必要であるし、飲食や物販、イベントといった都市のソフトを担う事業者もいないと都市は経営できない。ゆえに、まちづくりを全方位的に展開していくには、事業者の存在が重要である。
3 公民連携の「民」
筆者個人的には「公民連携」という言葉を、比較的懐疑的なスタンスでみてきた。というのも、ここでいう「公民」の「民」とは、一般的には、営利企業(民間)のことを指しており、およそ市民を指していることはない。加えて、日本においては2010年代の「稼ぐインフラ論」にも後押しを受け「衰退した都市を再生するには、儲かる仕組みや仕掛けが必要であり、公共施設や公共空間でお金儲けをし、その果実を都市に還元しよう」といった、営利主義的傾向が透けて見えたからだ。
もちろん、人口縮小や少子化、超高齢化を迎えて、自治体の力が下がってきており、相対的かつ必然的に、民間企業に行政が担ってきた一定部分を託す民営化の導入もある程度避けて通れない現実もあるのはわかるし、むしろ行政がもっていない「稼ぐ」ノウハウが、都市を活気づける(公園におしゃれカフェなど)側面があるのも認めるが、何でもかんでもそちらの方が良い、とはならない。
極論すると、「儲かる空間」は「お金を払わない人間」に冷酷である。しかし都市は、全ての人を包摂し、お金がなくても楽しく過ごし、健康になれる、豊かに生きられる場として機能しなければならない。となれば、営利的空間と非営利的空間(公園や美術館、学校、緑地、河川などの公共空間=コモンズ)はバランスさせるべきものであり、営利空間(営利施設)が優先、ということがあってはいけない。
以上の理由から、僕は公民連携の「民」が営利企業を主にさすこと(新自由主義的な空気感)に違和感をもってきた。だからこそ自分は、その「民」の一翼に市民やボランティア、NPOといった非営利空間の担い手も包含すべき、という主張を展開してきた。
4 地域とともにある事業者
前置きが長くなってしまったが、以上の議論を踏まえて、過日開催された名古屋市の地域まちづくり助成の審査会を振り返ると、自分が懸念してきた「営利主義的事業者」ではなく、「まちの未来を考えて行動する事業者」換言すれば「パブリックマインドもつ事業者」が名古屋市内で存在感が増してきたと直感した。これは、名古屋地方における「シン公民連携時代」の到来かもしれない。そうした気づきの詳細は、次号へと続く。
【謝辞】これらの考え方は、地域まちづくりの審査会のことを、吉村輝彦教授(日本福祉大学、都市計画)と対話している中で整理された。ここに記して感謝申し上げます。
冒頭の写真は、UnsplashのFrankie Lopezが撮影したもの。
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