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みすゞと音楽 「喜多嶋 修」


お久しぶりです、みすゞです。


ここ最近のわたしはと言うと、数日間の体調不良に見舞われておりまして、おそらく肺炎の可能性が高いと医師から言われている最中です。


就寝時もあまり眠れずにいるので、ヒーリング効果のある音楽を求め音楽アプリやYouTubeをさまよっていくつか聴くものの、今のわたしにしっくり来るものが見つからず。


ふと、わたしの大好きなお店「キマグレヤ」の店主のブレイクさんが、「エミリーさんはね、たぶんこれ好きだと思うよ。」って流してくれたレコード、喜多嶋修の「弁財天」を思い出しました。

▼   ※「キマグレヤ」は下記の記事に、エミリーはブレイクさん命名のわたしのミドルネーム


久しぶりに弁財天を聴いて、重なる音やリズムがとても心地よくて、YouTubeの方でも数十年前の彼の海外での映像を見ていたら、知らないうちに眠りについていました。

次の日起きてからも、しばらく弁財天を聴き、彼自身のことも気になってきたので調べてみることにしました。


喜多嶋修は、1949年生まれ。
日本の作曲家・音楽プロデューサー。

1960年代、ザ・ランチャーズ(従兄弟の加山雄三のバンド)の一員として活動。

1971年、慶応大学卒業後、渡英。

1972年、日本に帰国しその間に独自の音楽を確立し渡米しました。

シンセサイザーとギターを組み合わせたもの、それに加え、琴や琵琶、鼓など日本古来の伝統和楽器などが絡まりあった桃源郷のような世界観。緻密に構築された旋律のなかで、民族音楽的な要素も感じられます。

2004年に音楽療法士としての活動もされていました。

そして、幕末から明治時代にかけて活躍した、岩倉使節団、五百円札でも有名な岩倉具視の玄孫(やしゃご)にあたるそう。

なんだかとても興味深い人です。



わたしは正直、音楽はとっても好きなのですが、音楽について学んでいる方のような富んだ知識は持っていません。しかし、彼のつくる音、リズムや重なり、響きなどが、感覚で耳にしていても素晴らしいことは理解出来ます。

彼がどういう経緯でこういった自身の中で確立させた音楽をつくりあげていったのか、非常に興味があります。ネットで調べても出てこないので、どこかの古本屋さんなどに訪れた際に探してみたいと思います。


音楽は、聴いている人にいろいろな感情や心理状態をもたらしてくれます。世の中に数え切れないほどある様々な音楽のなかで、わたしたちは「今」自分が求めている曲を気分、感覚、意識的に、選択しながら日々耳にしています。
ときに音楽は、人と人を出会わせてくれたり、自分自身の趣向をつくりあげてくれる大切なものでもあります。
これからもわたしは、まだ出会えていない素敵な曲に巡り会いながら、音楽と共に生きていきたいです。


▼ 個人的にお気に入りの数曲を、下記に置いておきます。

Benzaiten !邦楽器とギターが絡まりあってる

日本の童謡が彼流にアレンジされてて不思議な世界観

2分30秒あたりからが個人的に好きです!心地よい



▼ ザ・ランチャーズ

喜多嶋修さんが作曲した真冬の帰り道、慶應ボーイ!

お嫁においではマスト!加山雄三さんもすきです



わたしが知ることが出来たように、彼の素敵な音楽に出会える人が増えますように。

そしてくれぐれも、皆様ご体調には十分にお気をつけ下さい。




また書きます。

みすゞ


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