詰められて泣いた数だけ強くなれる気がした
ー何をやるにも怖さがあるんだろうね。
私がこの一年で、逃げたくなるたびに言い続けた言葉。
もはや自己暗示の魔法にかかったかのように出ていた。
そしてその度に
「メンタルちいかわ」
「ぴよぴよすんな」
「自己効力感が皆無な子」
って言われてきた。
数えきれないほど言われ、
何も出来ないという無力感から、何度泣かされたことか。
(ちなみに夏以降は毎月10回を超えており、
11月・12月に関しては週4回、いや毎日?と言っても過言ではない。)
そのたびに「悔しい」という気持ちが出る。でも何も出来なくて。
ただただ行動できなかった日々が続いていた。
私の成長のために言ってくれているその言葉も、
どうしてか素直に受け取れず、また苦しむ。
同じことを何回も言われてさらに伝え方がきつくなって受け取れなくなり、という負の循環に入ったりもあった。
2023年はもかげず言われ続けて苦しんだ年。
1月4日に福島県南相馬市小高区に移住し、小高駅の民間の管理人を3月までやることになり、
3月末からは小高ワーカーズベース(以下OWB)での社会人×学生の生活が始まった。
最初はバイトだったOWBでのお仕事も7月からは社員になり、
マチ・ヒト・シゴトの結び場NARU(以下NARU)の半分、事業責任者にもなった。
その傍ら、小高パイオニアヴィレッジ(以下OPV)の運営にも入り、
8月・9月はリサーチインターンの事務局で生活面サポートも行い、
10月からはさとのば大学の地域事務局も半分担ぐことに。
10月に行った広島が環境的に刺激がよすぎて、次の土地は広島だと言ったら少し燃えて。
その中でも「他者のまねはできるけどその人にはなれない」ということに気が付いて。何者かになりたい症候群は終わった感じはあり。社会人1年目、大学2年生ながらいろんな経験をさせてくれているOWBのみなさまには感謝でしかない。
毎月、心もしくは身体で体調を崩すという後厄の災いもありながらも、何とか今日まで生きてきた。小高で生かされてきたとも言える。
プライベートでは3月にパートナーとお別れしたものの、11月にふたたび機会あり大切にしたい人が出来て、OWBに入社してから死に物狂いで仕事をしていたけど11月以降は「自分の体は一人じゃない」という意識が出てきたり。
学業は、毎度ふるいすれすれを生きている。あ、英語の単位を一つ落としたのは内緒ね。
いつまでもぬるい環境ではない。いや、小高においてぬるま湯などない。
毎日、桃鉄で言う貧乏神がついたような緊張感であり、でもキングにはなってないから自分のやりたいことをやる。時には地域での生活でしくったことをしてしまい、キングボンビーにやられる時もあるが、なんやかんや立て直す。小高の若者はみな、世渡り上手な気もしていて、人の顔色を窺っている感じはしないけど緊張感を持ちながら生活、コミュニケーションをとっている感じ。
今でも不安はありながらも、1年生活できた。
それでも、身近な環境で私は左右されてしまう。
昨年、うつになってから性格が150度ぐらい変わってしまい、
大人数でわいわいするのを避けてしまうようになった。
自宅(シェアハウス)で行われる集まりに参加したのは回数的に少ないし、
毎月体調を崩し、精神面も波があるなど、何もかもが安定しない毎日。
また、やりたくないものはとことん避ける傾向が強いのだ。
理由としては、他者の目が怖いから。
事象から逃げるなと言われても、自分を最優先にし、やりたくないものは避ける。それがどれだけ楽しいゲームだったとしても、他者を気にして、とにかく気を使いながらやるとか考えたくなくて。結果的にやる前から避けるようになるのだ。
それを見て、同居人からは「ノリが悪い」「しけずやあああ」と言われることも最近にかけて特に多くなった。そしてお説教が始まる。
はい、負の循環の完成。
11月~12月はこの負の循環に本当に苦しんだ。
広島に行ったことや、成長ステージの変化から私にも変化がやってくる。
▼詳細はこのnoteです
これを出したことで、ちょっと燃えたのもあるが、私はこのnoteを出したことを後悔はしていない。
むしろ、そういう人間なんだと思っていただければそれでいいとも思っている。
その中で、社会人としてもレベルが上がってきたのか、それとも私がいつまでも成長できず同じことの繰り返しだったからなのか、だんだんとご指摘の伝え方がきつくなってきたのだ。
このご指摘は私にとっては大切なモノであり、成長していくうえでは必須なことであるのだが、きつすぎてもはやナイフになりありがたく受け取る、ではなくて刺してくるようになった。
自分の出来なさ、がさらに丸見えになり自己効力感は下がるばかり。
詰められて泣いて、それを思い出して夜に泣いて。泣くという動作1つで自己効力感はさらに下がり、その状態で次の日にまた詰められて泣いて、の繰り返しを経て私の存在価値が一気になくなったとも思えるようになった。
自分のペースが小高という環境に合わないのかも。と思い始めたのはこの時。
そして、11月末のとある日に本能的に仕事に行けなくなった。
これがあり命の危機を感じ、結果的に適応障害になっていたというオチ。
11月末~12月上旬は戦闘不可能に近しい状態にまで行ったが、13連勤ということもあり無理やり残っていた小さな動力でフル回転。出力は低かったが、優先順位の高い最低限はお届けしたのち、無事に死にかけた。
今の環境から離れれば本来の私が見えてくるよ、
という声がとても多かったが、
今ここで私が小高を離れたら、もう小高には戻れないかもしれない
という恐怖心もあって。この葛藤から休みがあっても小高から離れることはできなくて、在宅でたまっていた仕事を片付けていた。
いつもそばでいろんな指摘をいただける環境って、
本当に幸せなことではある。
でも、いつまでも指摘をいただいていても戦えない。魂が持たない。
つまりは1月から、めりめり成長していくしかないということ。
殻にこもっていてはだめということ。もっと自分から機会を捨てず、機会を創り出して経験を積むしかないということ。
ーいや全部わかっているって。
分かっているけど出来ない理由、怖いから。
これがすべて。
上に書いたこと全部わかっているの。
行動した時に、「みんなから何を言われるかわからない」「いらないとか思われそう」「比較されたくない」という思考で何も出来なくなる。
それでも小高にいるみんなのことは本当に大好き。
離れたくない環境だからこその迷いもある。
「私は私らしく自分の人生を歩め」と親から言われているので、小高にいようと、広島に行こうと応援してくれる人はいる。
広島で待っててくれる人もいる。
小高にいてくれてありがとうと言ってくれるOWBに関係ない人もいる。
また、小高にいてくれて嬉しいし離れてほしくはないけど、広島の方がもっと人脈や経験が広がると思うよと背中を押してくれる人もいる。
小高でもっと成長してほしいからといつも指摘を言ってくれ、さらに場を用意してくれる人もいる。
この人たちの期待に応えたい。
怖いとか言ってられないステージなんだよ、すべては場数を踏むしか。
学生ながら飛び込んだ私を受け入れてくれたOWB、ファーストキャリアとして新卒でもない私をここまで育ててくれている地域。何も出来ていないのに、今ここで離れるのが一番悔しいから絶対にやりたくない。
でも大学生のうちに出来ることはいっぱいやりたくて、小高にいると出来ないこともある。
2023年。めっちゃ叱られ指摘をいただき泣きまくった。
2024年。ここまで叱られ人前でも泣きまくって笑われた私に怖いものはない。
そのうえで大切にしたいことがある。
それは、
小さくても成功体験を積むこと
自分の土俵(キャンバス)を創り上げていくこと
である。
自己効力感が上がらず、何か物事をこなすときに怖がってしまう理由として、「成功体験がない」ことが考えられると教えてくれた。
過去に、こうやって乗り越えた・できたから今回もこうやってやってみようという保険を掛けられる前例がないという言い換えも出来る。
完璧主義も重なって、私の中で「成功」というものの基準が高すぎるものあるかもしれないが、人生の中で安定をつき進めてきた結果ともとらえられるのだ。
小高にいる上で、安定とかないから。
常に修羅の道であるからこそ、成功体験がないと何も出来ない。
自己肯定感皆無である私が今さら、今から何が出来るんだよとか思ったりはあるけど、この思いは実は私も思っていて、指摘をいただく前に自分から社長に話していた。
今、担当している仕事がすべて解がない、長期的なものであるから刺激が少なく前例もないからやっていて自信がなくなってくるんです、と。
ちょっとでも成功体験が積めるようにプロジェクトを自分で起こしたり、振ってきたものはやりきるなどしていきたいのだ。
そのうえで、自分というあり方を明確にし、自分の土俵を作り上げていく。
今は、人の土俵に上がって戦っては負けての繰り返し。誰かと戦っていくうえで自分の土俵に持ち込めると一番やりやすいという考えもあるからこそ、まっさらな状態である自分というフィールドを少しずつ形成していくのだ。
これが2024年上半期のうちに半分でも出来ると、下半期は苦しまず自分らしく生きることが出来て、また広島に行くという選択肢もぐっと近づく気がしている。
最近起きた一番悔しかった話
小高では満月の夜に相撲をやる、という若者文化があるのはご存じだろうか。
▼詳しくはこちらのnoteです。
ちなみに2023年で一番泣かされた相手は上のnoteの筆者なのですが、
言われ続けて悔しかったので昨日(12/28)に一日遅れの満月相撲祭(エクストラターン)を開催した。
日頃、職場でも家でもこてんぱんにいろいろ言ってくれているので、
一旦満月の力をお借りして、力で勝負しよかという暴君に出た。
2戦し2回ともちゃんと負けたものの、なんか自分の中でくるまっていた殻が破れた感覚があり。
相撲は男女でやっても問題がないということが証明された瞬間でもあった(要審議)。
ということで、年末年始帰省中にちょっとかえるところを変えて、筋トレして、1月の満月相撲祭(1/26)開催時は荒らしたいと思う。
2023年の1年間は今までにないぐらい泣きまくって、会社の人たちに迷惑をかけて生きてきた。
2024年は、それをばねに成長できると自分で信じている。
大好きな人たちの下で。
2024年は爆発してみせる。
小高をはじめ福島浜通りのみなさん、いつもありがとうございます。
2024年もどうぞよろしくお願いいたします。
ちなみに2024年の2月10日で20歳になります。
飲みのお誘い、心よりお待ちしております。