幸せとはハッピーということだ


リップヴァンウィンクルの花嫁を観た。


最初のとっかかりは完全にcocco目的だった。何せ私は中学生のころから生粋のcoccoファン。
(ちなみに思春期はcoccoと鬼束ちひろに作ってもらった。人間性はお察しである)
まあ、そんな私だから、前評判検索もそこそこに、彼女が出てるなら見てみるか、の程度で食指を伸ばしたのだった。
それが、このざまである。筆を執らずにはいられなかったのである。

そうしなければ本当に、死にたくなるような、否、死んでもいいなと思えてしまうような映画であった。
それくらいに幸せな映画だった。

この一文で嫌な予感がしたあなた、正解です。プラウザバックしてついでに名探偵コナン緋色の弾丸を観に行きましょう。
絶賛全国ロードショー中です。赤井さん最高でした。みんなも浴びよう。(ダイマ)


閑話休題。


そもそも、死んでもいいなって思えるプラスな感情ってなんだよって話なんですが、困ったことにこの気持ちは決して希死念慮ではないのが摩訶不思議アドベンチャー。
説明が難しいが、希望をもって死ぬというか……うーん、なんていうんですかね?
いやでも今書いてて思ったけど、希死念慮も希望をもって死ぬって書いてるやん。あれ、それならこの気持ちも希死念慮になるんか?
…聞かれても困る。そうですよね、私もそう思います。

しかも、書いていて思うんですけど、この映画は恐らく、ごくごく普通に生きてきた大多数の人間には刺さりもしない、くそ詰まらない、寧ろちょっと恐怖すら覚えるような映画だと思うんですよ。


ざっと内容をお話すると。どんくさくて、おどおどして、おまけに声もちっちゃくて、ちょっぴりおバカな教師が主人公。(黒木華ちゃん)
映画の半分は彼女のそんな性格が災いして様々なことが空回り、とにかく色々とうまくいかないのを見続けることになる。
教師の仕事も非正規雇用で、上記の性格のせいで生徒には馬鹿にされてまともに授業にもなってない。
しかも給料も足りないからコンビニでバイトする始末。(生徒にバレまいと伊達メガネで変装していた様がかわいかった)
そんな彼女が、ネットで知り合った男と付き合って、結婚する。けれど、様々な罠が彼女を待ち受け、そしてどん底に突き落とされていく。


この展開にはもぉぉぉおおお辟易とした。
イライラしたと言っても差し支えない。
とにかく気持ちよくないのだ。見ていて。
言葉にしようのないもやもやとした黒いものが、胸に溜まっていくのだ。
音楽と風景だけがきれいなのが更にエッジを効かせてとんだ皮肉である。


けれども、彼女はとある仕事で真白(cocco)という女性と出会う。


私は真白を見て、ああ、これは私と彼の物語なのだと気付いた。


私事ながら、去年の暮れにお付き合いしている男性と同棲を始めた。
彼は恐らく軽いADHDの気がある。
何かをお願いしても2秒後には忘れてしまう(自分で数分前に作ったお弁当すら持たずに出社するレベル)
片付け、金銭管理が壊滅的にできない(お恥ずかしながら借金すらこさえている。流石に同棲前に住んでいた家の水道代が数か月払われていないと督促状が届いた時はどひゃーとなった)
勿論そんな彼なので、仕事でも、5年たった今でも個別業務以前の後片付けのレベルで毎日指導される。出したものは基本的にしまえない、気付けない…🤦‍♀️🤦‍♀️

などなど、書けば出る出る玉手箱!のような状態。恐らくADHDの方や傍にいられる方は分かってもらえるかと思います。そうですそれです、それ。

そんな彼だから、もちろん同棲前も同棲後も何度もぶつかってきた(一方的に)し、爆発した(一方的に)し、喧嘩もした(一方的に)
周りの友人からもほぼ「別れなよ」としか言われたことのないお墨付きの彼。
正直、私も何度別れようと思ったかは分からない。
そもそも、私は本当に彼を好きなのだろうか?と思っていた節もあったのだ。


けれど、とあるシーンのcoccoと黒木華ちゃんのやり取りをみて、ああ、そうかと、すとんと胸のつかえがとれてしまった。
少々長いが、その台詞を書き起こさせてほしい。


『わたしね、コンビニとかスーパーとかで買い物してるとき、お店の人がわたしの買った物をせっせと袋に入れてくれるときにさ、わたしなんかのためにその手がせっせと動いてくれてるんだよ。わたしなんかのために、お菓子やお惣菜なんかを袋につめてくれてるわけ。それを見てると胸がギュッとして泣きたくなる。わたしには幸せの限界があるの。誰よりも早く限界がくる。ありんこりも早く。だってこの世界はさ、幸せだらけなんだよ。みんながよくしてくれるんだ。宅配便のおやじは私がここって言ったところまで運んでくれるし。──こんな簡単に幸せが手に入ったらわたし壊れるから、だから、せめておカネ払って買うのが楽。おカネってそのためにあるんだよ。人の真心ややさしさがはっきり見えたら、ありがたくてありがたくて壊れちゃうよ。だからそれをおカネに置き換えて、見なかったことにするんだ。だからこの世界は本当はやさしいんだよ』


分からない人には、決して分からない感覚であることは、自覚している。
それでも私はこの台詞のようなことを、本当に毎日のように考えてしまう。
だから私は働くのだ。看護師として、せめて人の役にたって、働くのだ。こんな私だから。


なんだろう、張り詰めて、張り詰めて、張り詰めているときほど、優しい言葉でつつかれると破裂して泣いてしまうような。
そんな感じ。

破裂したくないから、優しさを直接受けないようお金と仕事で防御するのだ。


けれど、それを聞いた黒木華演じる主人公は、こう話す。


「無駄遣いせず、自分を大切にして。」


そのまなざしの、その涙の美しいこと。
coccoは答えます。


「お願い、そんな目でみないで?いっぱいになっちゃう」

「その涙のためなら、命を捨てたって良い」


そうなのだ。
優しいなどという言葉では足りないほどに、本当に馬鹿だと笑えるくらい、優しいのだ。

黒木華ちゃんの言葉には打算も、損得も、一切の負の感情はない。

ただただ純粋に、自分のほうが辛い環境なはずなのに、それでも人を慮る。


だから私は、こんなにイライラしていたのだ。
coccoにとって、世界はこんなにも優しいのに、彼女にとっての世界はなんと厳しいことか。
こんな私のためにこれだけ優しくあってくれる世界が、彼にとってなんと酷なことか。


ラストが少々衝撃的で、感想でもかーーーなり賛否両論を産んでいるけれど、でも私の中ではなんて幸せな終わりなのだろうと思わずにはいられない映画だった。
彼女や彼の行く末にたとえcoccoや私がいなくとも、こんな存在が少しでも、こんなに優しいあなたの糧となれるのなら。


それは、それはなんてしあわせなことだろう。


ゆえにこの映画は、ハッピーエンドなのだ。
…盛大に惚気となった気もするが、仕方がない。
人は愛の故に生きるのだ。なんて、偉いひとが言っていたような気がする。言ってないかもしれない。


こんな抽象的かつ自慰的文章で、少しでも興味をもって頂けたらぜひ視聴してみてください。
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おわり。

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