父は膵臓癌末期〜第三章〜
父親は膵臓がんになり約2年3ヶ月になります。
先生はこれだけ生きられる事は素晴らしい事、しかし余命ではこの春と宣告されました。
暫くは元気で食欲もありました。
しかし、酸素濃度も低く、肺に水が溜まったりもして何度か入院はしていました。
父はその度にお家に帰って生活をしていました。
先月に慢性硬膜下血腫の手術をしました。
頑張ってリハビリをしてお家に戻ってきました。
その後1ヶ月経過して、父の身体に変化が出てきました。
ベッドも新しく入れてもらいました。
酸素の事もあり、ケアマネに相談をして訪問看護を入れてもらった方がいいという事で会議をして毎週入っていただく事になりました。
その時にどこかへ少しでも一緒に出かけたい希望もあり歩行器とまだ歩行は少し困難でしたが念の為車椅子もお願いしました。
そして酸素も話すだけでも下がっていたので酸素吸入も入れていただきました。
一気にいろんな事が始まり、両親は混乱ぎみでしたので、話しをする時は全てわたしにする様にとお願いしました。
入れ替わり立ち替わり何かをする度に来客や電話がかかり、それもあったのか父も疲れた様な気がします。
何をするにも会議を開いて来客が来る、凄く早いスピードで物事が決まる。
その事が両親にはついていけなかった様に感じました。
そしてその夜中にトイレへ行く事がとても困難だった様で車椅子で何のか行けたと母から聞きました。
それを聞いてそれはもう危ないと感じポータプルトイレを入れていただきました。
そしてその次の日、少し立ちづらい様子とまた電話や来客で疲れた様子と言う事で仕事帰りにすぐに、自分の家に帰らずに実家へ行きました。
そうすると母が「早くきて〜」と言う叫び声!
すぐに父の部屋へ行くとベッドから起き上がれず座位も取れず、ポータプルトイレへ行きたいが行けない状態、ぐったりとした感じで自分の意思では座位や勿論立位もできず!
その状態を見て驚きました。
前日までは普通に過ごしていたのに、何故?と...
とりあえず何とかポータプルトイレへ移る事が出来たが、この状態だと夜中も母が見ることは出来ないと判断しました。
とりあえずご飯を食べたいとの事で車椅子に移ってもらいました。
寝たきりになるかもしれないと思いすぐにドラッグストアへ行き、オムツとパットを購入しました。
そしたらトイレへ行かずにオムツでして朝に交換をすればいいと思いました。
これは介護が必要だと思いヘルパーさんも入れてもらいたいと相談。
ですが、毎日入ってもらう事は大変な事なので、介護職もしていたのが本当によかったと思い、オムツ交換はしようと思いました。
その後父の様子がいつもと違い右手が上がらない踏ん張れない、右手でご飯が食べられない、左で食べるが落ちたら口をお皿に持っていき、そのまま食べようとする。
明らかにおかしい!
そして幾つか質問をしたところ答えられない事がありました。
益々おかしい!
そして夜に訪看さんに緊急で連絡し訪問して診ていただきました。
これはちょっとおかしいので主治医に連絡をしていただき救急で病院へ行く様に指示をされ、夜中に検査をしていただき、入院をする事になりました。
今回も脳でした。
詳しい事は明日(今日)先生からお話しをしていただくとの事で、夜も遅くそのまま実家に泊まり先生からのお話しをお聞きすると前回と同じ硬膜下血腫との事。
繰り返すとは聞いていたが、そんなすぐに?と思いました。
血をサラサラにするお薬を飲んでいたのでその関係もあるし繰り返すとの事。
先生からはまた同じ手術をする事によって以前の様に戻ると思うと告げられ、え!大丈夫なんだ!
と思い物凄く安心をしました。
私と母はもう覚悟を決めて、もう無理なんじゃないかなと思っていました。
まだ生きられる!まだ希望がある!と思いました。
術後どうなるかはわかりませんが、また帰ってお家に帰って来られたらと祈っています。
もう一度実家でみんなで集まって写真が撮れます様に...
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