嫌われる国語(その理由と解決策について)
こんばんは、ミスミです。
今回は、国語が特に苦手と思われる原因について考えたいと思います。
国語が嫌いな子に聞いて、一番多い理由。
それは、明確でないから。
国語が苦手な子が好きなのは、他の科目です。
考えてみれば、算数も理科も社会も、明確な正解があります。
国語だけが、なんとなく、の世界にあるように思われるのです。
しかし、本当にそうでしょうか?
実際に、中学入試では難関校が記述を多く出す傾向は昔も今も変わりません。
むしろ、大学入試の変革の影響を受けて、今までは記述がメインではなかったような学校でも、記述を増やしていく傾向も見られます。
もしも記述問題の答えが明確ではなかったら、入試というシステムに揺らぎが出てきてしまいます。
つまり、ある程度模範的な解答を想定して、問題は考えられています。
ですから、明確だと思えない子が、実はかなり明確な線引きのある世界がそこにある、ということがわからなければ、いつまでたっても勝負を勝っていくことはできません。
テニスやバドミントン、バスケやサッカーでも、もしもコートの線が見えない人がいたらルールを破ってしまい、試合に勝てないのと一緒です。
では、ルールはどこにあるのか?
これに関しては、正解は中学校の作問をしている方にしか分かりません。
しかし、それでも大丈夫なのです。
なぜなら、問題にされていることは、言葉の世界では理屈を使って構築されているからです。
そしてその材料は全て、本文と設問の文章で示されています。
出された問題に大して、正解の答えを見ると、そこに必要であった材料が判断できます。
99+□=100
この恐ろしい簡単な問題は誰にでも解けますよね。
国語の問題と解答も、実は似たような関係があります。
本文+問題+自分で考える部分=解答
となった場合、わからない子にとって一番疑問なのが、
この「自分で考える部分」なわけです。
でも、もしわからないのであれば、逆算します。
解答から、本文と設問の内容を引く。
残ってくるのは、自分で考えるべきだった部分。
では、これはどう勉強するのか。
自分で書いた答えと、解答を見比べる。そして、違うところを徹底的に分析していくだけです。
もちろん、先ほどのように、自分で考える部分だけを明確にすればいいのであれば、解かないでその逆算をすればいい。
しかし、入試は実際に自分で文字を書かなければなりません。ですから、自分で書く、という行為をすることも絶対に必要なのです。
国語が出来ない子は、
いやいや書く→答えを見る→違うのはわかるがゲンナリする→直し方がわからないまま放置→問題がレベルが上がる→またいやいや書く…
という無限に不毛なループを繰り返してしまうから、一向に好きになれないのです。
このサイクルを、
いやいや書く→答えを見る→違いを見つけたら分析していく→考え方の法則を自分で見つける→問題のレベルが上がる→自分なりの法則で書いてみる→少し答えに近づく→また違いを分析していく→
というように徐々に模範解答に近いものにしていくように変わります。
ただし、この分析作業を一人で出来る子供はなかなかいません。
まだ学年が低学年の頃は、親が上手く誘導していかなくてはならないのです。しかし、熱心な親御さんが陥りがちなのが、
「自分で考える部分」を親がいちいち教え込む
ということです。
これをへたに繰り返すと、高学年になったときには、一人で自主的に考える子供にはならず、ひたすら教え込まれた不自然な書き方に固執してしまうか、自分で考えずに安易に人に聞くような状態で全く成長できないようになってしまいます。
どのようにしたらいいのか、またこれについてはいつか書けたらと思います。
よく、塾などで宿題に、「直し」とありますが、この直しの作業に全てがかかっているのです。
直しの大切さを理解できている親も子も、殆んどいないのが現状です。どんなに高い塾を利用したり、家庭教師をつけても、本質的なこの直しを自分でできるようにならなければ、絶対に成績は上がりません。
ですから、もし国語が苦手なお子さまがいらっしゃいましたら、 まずは国語が不明確な世界でないことを、是非話してあげてください。
もしもその人にとって良いことが起きて、
その人が笑顔でいたら、その人の気持ちは必ず、
「嬉しい・喜ぶ」
になります。
もしも違う答えになる場合は、その裏側や、起きたきっかけに違う条件があるのです。
そして、それは全て本文のどこかに書いてあるか、本文を元にして推察すればわかるはずなのです。
このように、考えるやり方を身に付けて行けたら、国語が楽しく勉強できるようになります。すぐにではありませんが、半年あれば、また違う世界が見せられる、と私は思っています。もしお悩みなどございましたら、コメントなどにお気軽にお寄せください。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
お役に立てていたら、幸いです。
この先は、どんどん具体的に、その「自分で考える部分」を考えられるようになるために必要なことについて、お話していきたいと思います。
(新たに記事を書いておりますのでよかったらご覧下さい)