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つらくなってきた「虎に翼」- 「スンッ」してきた家族がリカバリーするまで
最近、ようやく今期の朝ドラ「虎に翼」をリアルタイムで観るようになり、面白いと感想の記事を書いたところだったが、第15週「女房は山の神百石の位 ?」のエピソードは観ていて少々つらくなってしまい、朝、出かける前にはシンドイので、週末にまとめて観ることになった。
今週は、女性裁判官の先駆けとして一躍有名人となった主人公、寅子(伊藤沙莉)が好調の中、仕事でも、家庭でも苦難に遭遇して痛めつけられるが、家では家族会議の末、新潟転勤を契機に活路を見出すところで終わっている。
いずれも働く女性の「あるある」だが、私が気になったのは、新潟に同行することになった、寅子の娘、優未(ゆみ)のことである。ドラマではきっと予定調和するのであろうが、優未が負った心の傷は、そう簡単に癒えるものではないのだ。今より前の世代で社会進出した女性の家族として、50年以上も「スンッ」をしてきた人間が言うのだから、まあ、間違いはないと思う。
共働きをしていた私の母は私を身ごもって、家庭に入った。きょうだいもでき、「10年間は外に出ずに家庭にいる」と夫と約束をしたが、そうすると関心は子どもの教育に向かう。自分のキャリアを犠牲にしてできた子どもだからしっかり育てなければ。「努力すればなんでも実現できないことはない」との信念を持っているので、当然子どもにもそれを強いる。
寅子の「家族会議」で噴出してきた家族たちの不満は、私もほとんどに覚えがある(テストの改ざんはしなかったけど・笑)。だが、この家族会議は多数の家族が同席したからできたことで、親と1対1 となった場で小さい子どもが言えることではない。そこで私が覚えたのが、ドラマで言うところの「スンッ」である。何か言われ始めると「心の扉」を閉めてやり過ごす。嵐が収まるまで待てばいいや。なお、幼い時からのこのスタンスは、その後の私の人間関係のあり方に多大な影響を与えたと思う。
もう一つ、家にこもった母が口癖のように言っていたのは、男社会への怨嗟である。戦時中の封建的な家族制度で、どんなに学業優秀でも持ち上げられるのは長男の方である。女性は比較的リベラルな仕事についても、結局はキャリアを捨てて家庭に入らなければならない。恨み言も多いのだ。この頃よく聞かされたのは、ドラマでもあったが「女性は仕事でも家庭でも、男性の2倍頑張らないと認められない」ということばである。それを聞いた私が子ども心に思ったのは「それなら、私はどっちかだけでいいや」ということだった。だって、頑張るのはシンドイもん。その後、仕事に出るようになった母の仕事と家庭との両立ぶりを見ていても、尊敬するというよりも、なんでこんなにカリカリしながら仕事をするんだろう、ということだった。「私は一生独身でいて、母(※私の祖母)を養って生きようと思っていたの」とも言っていたが、いっそそうしてくれていたら、スッキリした人生ではなかったのか(私は生まれていないけどね・笑)。そんな母が結婚したのは、いまだに語り草になっている父との大恋愛の末で、最後まで良いご夫婦と言われた。父もいろいろと忍耐していたとは思うが、家庭を何よりも大事にした。晩年、母がしみじみと言っていたのが「結局、女は夫次第よね・・」。おいおい、娘が小さい時から男の悪口を散々吹き込まれた挙句、恋愛関係がいまひとつうまくいかなくなった原因が自分にもあるとわかっているのかい ? (笑) まあ、私自身は家庭を持たなかったことには全く悔いはないのだが。
結局私は「仕事と家庭」では、はからずも「仕事」を取ることになったが、それもすんなりではなかった。今思えば当然のことだが、長年抱えていた「心の傷」がうずき出して、敷かれたレールをドロップアウトしたのである。そのため、たいていの人にとっては青春を謳歌するはずの20歳代は暗黒時代で、思い出したくもない。その後、あるきっかけから天職にめぐりあい、これには全勢力を傾注して取り組むことできた。なまけものだと思っていたが、こんな自分でも寝食を忘れて取り組めることがあるのだと、どん底まで落ちていた自己肯定感も回復した。何よりもそれは「人に押し付けられたのではなく、自分が好きでしていること」なのだ。そこでの仕事の成果が認められ、今の自分がある。昔、両親や周囲が私に期待していたような超エリートではないが、そこそこ社会的な立場があり、そこそこの経済力(これはひとりで生きる上で大きい)があり、かわいい教え子にも恵まれ(今回のキャッチ画像は私の誕生日にゼミの学生たちからいただいたもの)、今は幸せである。
ドラマに話を戻すと、働く女性の立場から見ると、今回、寅子に仕事の上で起こった困難も、特別なことではない。
有名人のご家庭訪問は、芸能人や政治家などでもあるだろうが、その家族が「良い家族」を演じなくてどうするの(笑)。今だって、皆様内心「アーア」と思いながらつきあっているのだろうことは想像に難くないが、それが求められているのだから仕方なく、必ずしも寅子のせいではない。
後輩の司法修習生の自分への悪口が耳に入ったエピソードは、これは設定にそもそも無理があって、寅子の縄張りの店で名指しで寅子の悪口を言うこと自体が不自然。この時代のエリート女性はもっと優等生で控えめで、大先輩の悪口を人前で口にするのは最近の人たちである。また、寅子の当時の立ち位置であれば、「女性の牽引役」としてなにか発言しなければと思うのはむしろ当然のことなので、これも寅子を責めるのは酷である。
調停の席で不満を持った女性当事者に襲われたエピソードで、襲った側の言い分は、およそ「女性が女性を支援するとき」には心しなければならないこと。どうしても「恵まれたゆとりのある女性」が「気の毒な現状にある女性」をお世話するという構図になるが、女性の大半はそんなのはできればゴメンだと思っているので、支援される側の自尊心にはくれぐれも注意しなければならないのである。
私の「スンッ」人生は、母の死とともに終わりを告げた。母の最期を看取るのは私だろうと思っていたから、いよいよ最期のときには今までの思いのたけをすべてぶちまけてやろうと考えていた。ところが実際にその段になってみると、私の口から出てきたのは「あなたの娘でよかった。ありがとう」という感謝のことばだった。ああ、最後まで「スンッ」か(笑)。ただ、こうも言った。「お母さんの期待に応えられなくてごめんね。でも、私は今がちょうどよい人生。幸せなんです」。すると、もう意識を失っていたはずの母の目頭に涙が溜まったのである。最後まで頑張ったんだな(笑)。きっと私のことばが聞こえていたと信じている。その1時間後に母は人生に感謝しつつ努力の輝かしい生涯を閉じた。そして私は改めて、賢く、美しかった母を誇りに思い、愛していたことに気付いた。「スンッ」をしたのは愛されたかったからだったのだ。
こんな親の話をすると、「『毒親』だったんですね」という人がいるが、安易に決めつけてほしくない。親と子の関係は、そんなに単純なものではないのだ。つらいこともあったが、愛情もたくさんもらった親である。私が仕事で困ったときに的確な助言をしてくれたのは、母に同じように職業経験があったからである。私の遅まきのキャリア形成も、全力で応援してくれた。この親でなかったら、もう少し楽に呼吸できた人生だったと思わないでもなかったが、それはそれで別の苦難があったのかもしれないし、人は二つの人生を生きられないのでそれは誰にもわからないことだ。
このようにいろいろ思うところがあって、ちょっと観るのがつらくなった「虎に翼」だが、働く女性のおかれている状況を過去のどの朝ドラ作品よりもリアルに描いていることは、画期的で頼もしい。最終話まで観続けていきたいと思う。