映画「大脱走」(1963年・米) ~ やっぱりかっこよかったマックィーン
川喜多記念映画文化財団が主催している「午前十時の映画祭」をご存知だろうか。過去の傑作映画を毎年選出して、全国67の映画館で1年間にわたって連続上映している貴重な企画である。途中お休みもあったが、今回で13回目を迎える。今年のラインナップをみると、昔、観たもの、また名作だと知っていてもまだ観ていなかった心惹かれるものが多く、日程を見て通うことにした。1作2週間程度の公開なので、気を付けて予定表に入れておかないとすぐ見逃してしまう。
今年の私の鑑賞一作目は、ジョン・スタージェス監督作品「大脱走」(1963年・アメリカ)。実話を基にした第二次世界大戦秘話の映画化である。ドイツ軍捕虜収容所内で秘かに立案された連合軍将兵250人の集団脱走計画を描く、男たちの物語。出演者も、主人公ヒルツを演じるスティーヴ・マックィーンをはじめ、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、ジェームズ・ガーナ―、リチャード・アッテンボローなど日本でもお馴染みのスターたちの演技の競い合いが豪華な大作である。
吹奏楽などで著名な軽快なテーマ音楽にのって、オープニングは収容所の様子が描かれる。各国の捕虜は犯罪者ではないので身柄の拘束はゆるいが、捕虜の「義務」(敵をかく乱することで戦意をそぎダメージを与えること)として、隙あらば脱走をしようと繰り返す問題児たちを集めて監視しようとする、特殊な場所であることがわかる。筋金入りの脱走指導者、バートレット(リチャード・アッテンボロー)が入ってきて、さっそくゲシュタポににらまれるが、夜にはさっそく捕虜たちと計画を練る。「穴を掘って、250人脱走させる」と最初聞いたときには、観ている方もあまりに荒唐無稽なのでないかと驚いたが、綿密な計画を練り、それぞれの専門性を活かした役割で、時間をかければ可能になるのである。
穴を掘って出てきた土をどうするのかが懸案だが、思わぬ工夫あり。ちょこちょことした、監視側との攻防戦がハラハラドキドキで楽しい。そんなさ中、ヒルツとヘンドリー(ジェームズ・ガーナ―)が一生懸命何をしているのかと思ったらひそかに芋焼酎を造っていて、アメリカ独立記念日に収容者たちにふるまった微笑ましいシーン、だが、それをきっかけに相当深く掘り込んだ穴のひとつの存在がバレてしまうという悲喜劇のバランスなども見事な構成である。
脱走を考えているヒルツは、他の捕虜たちとは一線を画していたが、仲間の死をきっかけに計画に協力するようになり、主要メンバーとして多くの収容者を脱走に導く。自らも抜け出し、追手のバイクを手に入れて、草原で延々としたチェイスを繰り広げる。長時間の尺だが、ファンには堪えられないシーンであろう。彼も結局は捕まってまた独房送りになるのだが、冒頭と同じようにグローブとボールで一人遊びをして終わるのが彼の孤高の精神の象徴のようで小気味よく、そこに悲壮感はない。さすが一世を風靡した大スター、かっこよさは並ではない。
印象に残ったのは、指揮官バートレット(リチャード・アッテンボロー)。脱獄のリーダーとなることを迷いなく自らの使命と考え、どこに行こうと全うしようとする。沈着冷静で、足手まといになりそうなコリンを切り捨てようという非情な判断もいとわない。片腕となったマクドナルド(ゴードン・ジャクソン)との列車に乗っての逃避行は文字通り手に汗握るもので、大スクリーンを眺めながら思わず「逃げて」と祈っていた。結局は捕まってしまい、また収容所に戻されるがその途中、冒頭の「今度捕まったら銃殺だ」というゲシュタポのことばの伏線通りにあえなく最期を遂げる。
この男たちだけの物語にふんぷんとするのは同性愛の空気であることは、スタージェス監督も認めていたことでも有名である。ダニー(チャールズ・ブロンソン/「トンネル王」なのに閉所恐怖症で脱走直前までグダグダ言うというユニークな設定)とウィリー(ジョン・レイトン/金髪の美青年)がそれで、ブロンソンがシャワーを浴びて無駄に上半身裸をさらしているシーンなどでピンとくる(笑)。よく60年前の映画にこんなシーンを入れたものである。この二人は歴然だが、他に私のセンサーにひっかかたのが、同室同士のヘンドリー(ジェームズ・ガーナ―/「調達屋」)とコリン・ブライス(ドナルド・プレザンス/「偽造屋」)。ヘンドリーは失明同然となったコリンを必死にかばいきり、外まで寄り添って逃げ出すことに成功するが、ただの友情だけでここまでするとは思えないのだ。男性同士の愛情というと、ついBLなどの美形の男性同士を想像してしまうが、実際に多いのはコリンのようなタイプだとよく聞くので納得である。もっともいまや、同性愛はタブーどころか揶揄してはいけないことになり、時代の移り変わりはすごいものだと思う。
タイトルだけは知っていたこの名作を迫力ある大スクリーンで観ることができて本当に良かった。いろいろと気になるところがあったので家で動画配信でも観てみたのだが、テレビ公開用の吹替版で、前編172分なのに30分ほどカットされていていろいろと良いシーンがない。ヒルツは追手にすぐ捕まってしまうし、バートレットが自分の人生を「組織作りとトンネル掘りばかりだったが幸せだった」と述懐した直後に狙撃されるシーンなど。また、マクドナルドがフランス人に化けているのに、「グッド・ラック」と声をかけられて「サンキュー」と答えてしまってバレるシーンを、「良い旅を」「アリガト」などと吹替えているのは、全く余計なお世話というものである。この作品をテレビ放映でしか観たことのない方には、ノーカット版を、できれば大スクリーンでご覧になることを強くお勧めしたい。
私が映画をよく観ていたのは、30年ほど前。映画が創られて100年を経た記念の年というので、100本観た年もあった。その時に集めたガイド本などを読むと当時の思い出がよみがえってくる。「またお会いしましょう。サヨナラ、サヨナラ」のオジサマや「映画って本当にいいもんですね !」が口癖の解説者もすでになく。でも、どんなに娯楽が増えて多様化しても、映画という文化は廃れてほしくない・・・と高等遊民に回帰しつつあるみざくらは願ってやまないのであります。