なぜウクラマトはトライヨラの外を知らずに育ったのか
こちらはファイナルファンタジー14の最新パッチ「黄金のレガシー」に登場するキャラクター、「ウクラマト」に関する記事です。
以下のような傾向があります。気になる方は参考になさってください。
できる限り登場人物の立場や心情に寄り添うよう努めていますが、全面的に肯定しているわけではありません
引用が多めです
何が問題なのか
「黄金のレガシー」開始時、ウクラマトは自国についてかなり無知な状態で登場します。
彼女が一般人であるならば、「そんなものかもしれない」で済ませてもいいでしょう。ですが、彼女は王女、しかも王位継承者を定めるレースに参加しています。将来自分が統治するかもしれない場所について、どうしてこれまで知ろうとしてこなかった、あるいは知るよう促されてこなかったのでしょうか。
彼女は王位継承権を持つ唯一の存在ではありません。あくまで継承者候補のひとりに過ぎず、しかも、候補者として認められた根拠は現国王であるグルージャジャの養女であるという一点によるものです。
彼女自身に何らかの実績があるわけではなく、また、養女ではあるものの後継者としての教育を受けてきた様子もあまり窺えません。物語開始時点の彼女はそんな人物に見えます。
つまり、そもそもの話として、継承者レースに参加できている理由そのものが、かなり希薄であるように思えます。
この部分で納得を得られないことが、私にとってはこの物語を享受するにあたってかなりのつまずきとなりました。
ウクラマトというキャラクターに対する好悪以前の時点で、「この話ってどうなってるの?」「この子はなんで王女様として認められているの?」という部分に引っかかりを覚えてしまったのです。
プレイを進行している最中にふせったーに書き綴った感想の中にも、同様の内容を記しています。
現在でも、この部分に関しては疑問を抱いたままです。
ですが、サブクエストやNPCの会話、あるいはギルドリーヴの説明文など、メインクエストで直接語られたわけではない情報も併せて見ていくうちに、「もしかしたらこういうことなのだろうか」と思える部分も出てきました。
この文章では、そうやって見えてきた背景を踏まえつつ、ウクラマトを取り巻く状況を見直してみたいと思っています。
ただし、直接的な形で語られたわけではない部分に関しては、あくまで憶測です。「かもしれない」ものに過ぎず、「である」と言い切れるものではありません。
また、この文章は7.0時点で実装済の各種クエストを終えた時点で書かれたものです。以降に実装された内容によっては、矛盾をきたす可能性があります。
加えて、見落としや勘違いもあるかと思います。
お気づきの点がございましたら、論拠を添えた上でご指摘いただければありがたいです。
下記のような項目を立てて考えを進めていきます。
まず、問題を「トライヨラという国の事情」と「ウクラマト個人の事情」に切り分け、それぞれについての問題点を抽出していきます。
トライヨラという国の事情
初めての代替わりである
各地域間の往来に困難がある
「書物」の絶対量が少ないのかもしれない
建国の王グルージャジャの存在が大きすぎる
ウクラマト個人の事情
暗殺を免れた族長の娘である
シュバラール族の女性である
トライヨラという国の事情
初めての代替わり
まずは「トラル大陸」および「トライヨラ」という国の歴史的な背景について見ていきます。
トラル大陸はエオルゼアの位置する三大州とは広大な海洋を隔てています。
およそ80年前、リムサ・ロミンサの探検家ケテンラムが西方海域を突破して「新大陸」を「発見」するまでは、トラル大陸の存在は知られていませんでした。この点において、南方のメラシディア大陸などとはまったく事情が異なっています。
この「新大陸発見」は、トラル大陸側にとって大きな歴史の転換点となりました。
当時マムークの王であったグルージャジャは、ケテンラムとの邂逅がきっかけとなって「外つ国」の存在を知ります。そして、その脅威に立ち向かうにはトラル大陸を統一する必要があると考え、ヤクテル樹海の外へと旅立つ決意を固めます。各地を巡る旅によってグルージャジャは仲間を得、最強のトラルヴィドラールであるヴァリガルマンダを征し、ついには多部族国家「トライヨラ」を建国するに至りました。
※このあたりの歴史的背景に関しては、こちらで一度まとめています。
トライヨラという国を考える上で大きなポイントとなるのは次の二点です。
多部族が共生できるような統一国家は、トライヨラ建国以前のトラル大陸には出現したことがなかった。
トライヨラの王位継承は今回が初めてである。
国のあり方についても、統治者の継承についても、先例となるようなものが存在したことがない――継承者レースが始まる時点でのトライヨラはそんな状態にありました。
自大陸の歴史の中に先例が見つからないだけではありません。ほんの80年前までは他の大陸との交流もなかったため、よその大陸の歴史から学ぶにしても困難が多かっただろうと思われます。
人が集えば、互いがよりよく生きられるようにするためにルールが必要となります。そういった意味では、トライヨラ建国以前のトラル大陸にも何らかの統治の仕組みがあったはずです。しかし、トラル大陸におけるそういった仕組みは、これまでは同一部族内、もしくは生活圏が隣接する部族間の関係調整等に限定されていたのではないかと思われます。
現在知ることができる範囲でのトラル大陸の歴史を見るに、近隣の部族との闘争はともかくとして、大陸の統一を試みるような国家の出現は、大昔のヨカフイ族によるもの以外には見当たりません。そのヨカフイ族にしても、北側のサカ・トラルへの進出を試みて失敗したのをきっかけに、支配者たる地位を降り、オルコ・パチャの奥地に引きこもるようになりました。
オールド・シャーレアンのヌーメノン大書院に収録されている書物によれば、南北に長いトラル大陸では、大陸統一そのものが困難だったのではないかと考察されています。
そもそもの話として、統一国家としてのトライヨラの王位継承にはモデルとなるようなケースがほぼ存在していなかったと言えそうです。
トライヨラ建国は英雄である連王グルージャジャによって成し遂げられたものでした。そんな彼が退いた後の次代の「王」がどのような存在であるべきなのかは、思い描くことそのものが困難だったかもしれません。
だからこそ早めに後継者問題を考えるべきだと現代日本に生きる私などは考えてしまうのですが、その発想自体、連続性のある長い歴史を持つ国で、歴史というものに興味を抱いて育ってきた者の発想なのかもしれません。
※このことについては、以前にこちらで触れています。
そういった背景下で考案されたのが、今回の継承者レースです。
四人の候補者による競争という形式を取った理由について、グルージャジャは次のように語っています。
継承の儀はマムージャ族が王を決めるための儀式から着想を得たとのことです。ただし、すべての部族に機会を与えるため、候補者をマムージャ族には限定せず、ふたりの養子と武闘大会の勝者を参加させているということなのですが、この点に関しては若干の疑問を覚えます。
「すべての部族に機会を与える」ならば、グルージャジャの子供たちをそのまま候補者に据えなくてもいいのではないか。例えば、各部族から実力を備えた代表者を募り、互いに競わせるような形式のほうが「公平」なのではないか。
また、グルージャジャの子供を候補者とするにしても、実績のないウクラマトも参加できたのはどうしてなのか。
実子であり、幼少期から鍛錬を重ね、現在では勇連隊の隊長を務めているゾラージャ、シャーレアンに留学して学問の研鑽に励み、帰国後には新技術の導入を図っているコーナ。このふたりならば、継承者候補となれるだけの実績があると言えます。
ですが、ウクラマトにはそういった実績もなければ、統治者となるにふさわしい勉学を修めた形跡も見られません。
この点に関してはウクラマト自身も引け目に感じているようで、「継承の儀」開始直後に次のような一幕があります。
ナミーカが何をもって「ウクラマトにしかないもの」と言ったのかはここではわかりません。ですが、ウクラマトが掲げている目標「みんなの笑顔を守るために」や、あるいは、いったん王位に就いて以降の彼女の発言や判断能力は、「王たるにふさわしい」ものであると私は捉えています。
ですのでウクラマトが継承者候補に加わるべきではなかったとは考えていないのですが、その理由付けとなる部分、つまり、「どうしてグルージャジャはウクラマトも継承者候補に加えたのか」ないしは「なぜウクラマトは王位を望むようになったのか」は、もう少し具体的に描かれていたほうがよかったのではないかと感じています。
なお、彼女が王位を望んだ理由ですが、これは「ゾラージャを王位につかせるべきではない」と考えていたからだと捉えています。
初めて顔を合わせた時に、彼女自身がはっきりとそのことを口にしています。
この時点ではゾラージャの名前は出ていませんが、領土拡大を望んでいる候補者はゾラージャ以外には見当たりません。
ただ、「ゾラージャを王位につけるべきではない」と考えていたのは確かだとしても、どうしてそれが「自らが王になる」という発想と結び付いたのでしょうか。
自分の意志を通すには、自分自身が王となってしまうのが最良の手段ではあります。ですが、序盤のウクラマトは「自分は兄たちよりも劣っている」と考えています。自分が進んで王になるのが最善だと思えるものでしょうか。他の手段を選んでもおかしくないはずです。
「対立候補であるコーナを支援し、彼に自分の願いをかなえてもらう」、あるいは「ゾラージャを説得し、進言を聞き入れてもらう」といった方向を目指さなかったのはなぜなのでしょう。
「試みたものの取り合ってもらえなかった」、「話を聞いてもらえるとは到底思えないような状況にあった」、あるいは「自力で何とかしたほうが確実であるとの結論に達した」といったところでしょうか。
あるいは父であるグルージャジャから直接「お前も候補者のひとりだ」と告げられたことによって、王として立つ覚悟を決めた……というパターンもありえるでしょう。
ですが、これらはあくまで想像に過ぎません。
この部分に関しては、「状況からの推測」に任せるのではなく、具体的な場面をしっかり見せてくれたほうがよかったように、私には思えます。
特にゾラージャとの関係は「黄金のレガシー」のストーリーの根幹に関わってくる部分なのですから、「互いを理解するにあたって困難を抱えている」、ないしは「わかったつもりになってしまってそれ以上知ろうとしていない」といったようなふたりの関係性を、具体性を持たせつつ描写する必要があったように感じます。
たとえウクラマト本人は語ることを望まない内容であったとしても、「超える力」をうまく利用することができれば、(少なくとも光の戦士とプレイヤーに対してなら)そういった場面を見せることも可能なはずです。
このあたりの事情を7.0本編中のどこかで、何らかの形で提示してもらえていたならば、「黄金のレガシー」そのものの印象がかなり変わってきたのではないかと思います。
話を少し膨らませすぎました。
ウクラマト側の事情に関してはまた後で取り組むことにして、ここでは一旦トライヨラの事情に話題を戻します。
地域間の往来に関する問題
トライヨラは雄大な自然に恵まれた土地です。
滔々と流れる大河、轟く瀑布、聳え立つ巨峰、生い茂る密林。
こういった素晴らしい景観は、同時に、他の地域への移動を妨げる要因にもなっています。
光の戦士たちがトライヨラを訪れた7.0開始時点では、エーテライト網が完成し、さらには気球や鉄道の運用が始まっていました。外つ国からもたらされた新技術のおかげで遠隔地への移動もさほど困難ではなくなっていたわけですが、これらの整備計画が持ち上がったのはコーナがシャーレアンから帰国して以降の出来事です。つまりほんの三年ほど前までは、この大陸の交通は現在よりもずっと不便な状態に置かれていました。
そのせいでしょうか。トライヨラ連王国では、それぞれの土地に住んでいる人々は古くからその土地で暮らしてきた部族が主体となっており、王都トライヨラを除いては多部族の混住という状態はあまり見られないようです。
統一国家成立以前の部族間抗争といった歴史的な要因が大きいのでしょうが、往来の困難に起因する部分も影響を及ぼしているのではないかと私は推測しています。
多部族国家と言いつつも、トライヨラは多くの部族が完全に混ざり合って混沌とした巨大国家を形成しているのではなく、各部族が個々に独立した状態で連合を組んでいるような状態にあると見たほうが、実態に近いように思われます。
地域間の往来に困難があることは、それぞれの地域を孤立させかねないという問題を抱えることに繋がります。
ウクラマトが各地の事情に疎かった要因のひとつに、この交通の問題があるかもしれません。
「書物」の絶対量が少ない?
前項で見たように、トライヨラの外へ直接出かけていくことは困難を伴うものであった思われます。ですが、直にその土地を訪ねることが難しくても、座学で学べることだって多いはずです。
しかしウクラマトは、座学で学びうる知識にも欠けた部分が多かったように見受けられます。
これをウクラマトが怠惰で不勉強なのだ……と片付けてしまうのは、少しばかり手厳しすぎるかもしれません。
というのも、トライヨラでは、研究者でもない若者が気軽に読めるような「書物」は、私たちが自分の日常生活から考えるよりも――あるいは、エオルゼアにおける標準から考えても、ずっと少ないのではないかと思われるからです。
書物の絶対量そのものが少ないとなれば、知識へのアクセスも難しくなります。
トライヨラで使われている言語は、トライヨラ連王国成立後に人工的に創られた「トラル公用語」です。
トラル公用語はトライヨラ連王国成立以前には存在していません。つまりトラル公用語の文書が書かれるようになってから、まだ80年たらずなのです。それより前に書かれたものを読みたいならば、その文書を書いた部族の言葉が読めなくてはなりません。
つまり、「たとえ古い文献が存在していたとしても、一般人が気軽に読めるとは限らない」という問題が発生します。
また、いくら「わかりやすい言葉」を創り出したのだとしても、新しい言語を自在に扱えるようになるまでには、それなりの学習時間が必要です。
トラル公用語が成立した直後の世代は、新しい言語で著作物を記すのにかなりの労力を必要としたであろうし、となれば、気軽に文章を書き散らすようなことは難しかったでしょう。世に出る文字情報の量は、そういった困難を抱えていない社会と比較すれば少なくならざるを得なかったと思われます。
もっとも、新しい国家の成立に伴って、各種の記録や新たな法律に関わる文書などは、むしろより多く記されていただろうとも考えられます。
ウクラマトはおそらく20歳前後なので、トラル公用語が社会に定着して以降の世代です。ですので、一世代前の人々との比較で見るならば、言語の変化を原因とする書物不足は解消されてそうです。ですが今度は「使い慣れた母語とは異なる言語を学ばなくては、より古い世代に書かれたものを読むことができない」という問題に直面することになったと思われます。
加えて、トラル大陸においては、識字率そのものがあまり高くないようです。
ワチュメキメキ万貨街の木工・皮細工・裁縫クエストでは、口承で伝えられてきた各部族の伝承を書物の形に書き留めていくという物語が展開されています。
一連のクエストから知ることのできる情報のうち、今取り扱っている問題とかかわりが深そうなのは、以下の三点です。
トラル公用語の記述に用いられている文字は、エオルゼアの文字を借用している。
トライヨラでは、公用語をしゃべることはできても読み書きのできない者が少なくない。
サカ・トラルで暮らす人々の中には、文字文化を持っていない部族が存在している。
識字率が低いということは、書物の需要が高くないということでもあります。書物の流通量は多くはないだろうし、そもそも文字情報が記されること自体が少ないでしょう。
こういった状況下では、何かを学びたいと思い立った時に、「より多くの書物に触れる」ことは困難です。
もっとも、適切な書物がなかったとしても、知識を持つ者から直接に話を聞くことは可能です。王族に連なるウクラマトであるならば、目的に沿った教師を見つけることも難しくなかったでしょう。ですが、望む知識に触れるために都度人の手を煩わせなくてはならないというのは、かなり面倒です。
ウクラマトがいまひとつ座学に不熱心だったのはたぶんその通りではないかと思うのですが、知識に到達するためのハードルそのものが、おそらく私たちが思い描くよりもかなり高いのではないかとも思います。
このあたりの事情を思うと、知の都シャーレアンに留学したコーナは、溢れんばかりの書物を目の当たりにして狂喜するとともに、自国の状況と照らし合わせて危機感を募らせたのではないかと想像してしまいます。
ただ、トラル公用語には利点もあります。
トラル公用語をマスターしている者がエオルゼア共通語を習得しようとした場合、同じ文字を使用している上に言語としても似通った部分が多いので、我々現代日本に暮らす者が外国語の習得を試みた場合よりもはるかに楽に身に着けることができるだろうと思われます。
もちろん、それ相応の努力は必要でしょう。ですが、例えばシャーレアンから輸入した書籍から新しい知識を学び取るといった試みは、私たちが想像するよりもだいぶ楽かもしれません。
グルージャジャという存在
トライヨラを建国したのは連王グルージャジャです。
各部族をまとめ上げて統一国家を作り上げられたのは、彼一人の力で成し遂げられたことではなかったでしょうが、彼が「並外れた存在」だったからこそ可能だった部分は大きかったと思われます。
ですが、グルージャジャの功績や存在感が大きければ大きいほど、その後を引き継ぐ者は大変になります。
卑近な例で言えば、ワンマン社長が一代でのし上がったものの引き継ぎに失敗して二代目のボンクラが会社を潰してしまうような事例は、決して珍しくもない話です。
初代が偉大だったからこそ、次への引き継ぎは最も大切な懸案となります。
ましてやトライヨラという国は、先例の見あたらない国です。
正直なところ、グルージャジャがこの問題に取り組みはじめた時期はいささか遅すぎた感があります。
もっとも、実際にトライヨラを治めていたグルージャジャにしてみれば、故意に後継者問題を後回しにしたわけでもなんでもなく、その時できること・しなければならないことを行うのに必死で、なかなか手が回らなかった……といったあたりだったのではないかと思います。
特に、マムークの「双血の教え」にまつわる問題は、非常に難しいものだったでしょう。
グルージャジャ個人としては、「双血の教え」が解体されることを望んでいただろうと私は考えています。
ですが厄介なことに、グルージャジャもまた「双頭のマムージャ」です。
グルージャジャが成功を収めれば収めるほど、「双頭のマムージャ」に対する期待もまた高まり、「双血の教え」への信奉はますます強固になっていきます。
「双血の教え」の解体を望むならば、自分ではなく次の世代に任せたほうがいいのではないか。グルージャジャの中には、あるいはそんな思いもあったかもしれません。
しかしそうだったとするならば、双頭のマムージャに対して強いこだわりを抱いている「奇跡の子」ゾラージャは、後継者としてあまり望ましい存在とは言えなくなります。
※このあたりの問題については、以前に一度文章を書いています。
よろしければこちらをご覧ください。
以下、グルージャジャという人物についてもう少し考えてみます。
グルージャジャは双頭のマムージャです。
双頭のマムージャは子孫を残すことができないとされています。ですので、後継者問題を考えるにあたって、少なくともゾラージャ誕生以前は、世襲制は念頭になかっただろうと思われます。
また、彼はマムーク出身のマムージャです。
双頭だからといって必ずしもマムーク出身とは限らないかもしれないと思っていたのですが、Lv96調理師ギルドリーヴの文言を見るに、彼がマムーク出身であることは間違いなさそうです。
マムーク出身の双頭であるならば、あのバクージャジャと共通する背景を持っていることになります。
おそらくですが、彼自身が幼少期に施された教育は、マムークの王を定める双頭同士の競争に勝ち抜くことを前提としたものだったでしょう。そして、双頭のマムージャを誕生させるために行われてきた諸々を考えるならば、彼もまた、呪いにも等しい期待を押しつけられながら成長した可能性が考えられます。
もっとも、グルージャジャ幼少時のマムークの住人は、7.0開始時点でマムークに住んでいた人々ほどには「双血の教え」に凝り固まっていたわけではなかったかもしれません。
多部族共生に共感するマムージャ族は、トライヨラ建国後はマムークから王都トライヨラへと移り住んでいったようです。マムークに残ったのはトライヨラへの移住を選択しなかった(できなかった)者たち、つまりは、「双血の教え」により強く縋っている人々だと思われます。
ですので、グルージャジャとバクージャジャの背景は完全に重なるわけではないでしょう。けれども、ある程度は共通する部分があるはずです。
それを念頭に置いた上で、グルージャジャが子供たちにどんな未来を与えたかったのかを考えていくと、「偉大な王とその子供たち」といった構図とはまた別のものが見えてくるように思います。
あくまで私見ですが、子供たちの未来に対して、グルージャジャは「自分の後継者となること」を強制したくはなかったのではないかと思っています。
「双頭の王」となることしか思い描くことを許されなかった自分とは違って、子供たちは望めば何者にでもなれるはずだ。
そういった思いがあるからこそ、グルージャジャは「将来の統治者たるにふさわしい教育を施す」というよりは、「我が子が望むものがあれば、それを惜しみなく与える」ような育て方を望んだのではないでしょうか。
それでも同時に、「自分が獲得したものを子供に譲りたい」という願いもまた抱いていたのかもしれません。
継承の儀を執り行うにあたって、本当に「すべての部族に機会を与える」つもりならば、各部族の代表者を募って競わせるといった形式もありえたはずです。ですが実際には、グルージャジャの子供たちが優先的に候補者となっていました。
こうして見ていったとき、ふと思い出されたのが、ゾラージャが我が子とされているグルージャに遺した言葉です。
「どうあれとも願わない」というのは、冷たく突き放す言葉に聞こえます。けれども「奇跡の子」という呼び名に縛られ続けた男の遺言であることを思えば、それはむしろ「己の望むままにあれ」という祝福とも受け取れます。
そしてまた、ゾラージャの父であるグルージャジャが子供たちの未来に対して抱いていた想いが先ほど見てきたようなものであったのだとしたら、このゾラージャの遺言には父グルージャジャの想いと相通じるものがあるように思えてきます。
ふたたびグルージャジャに話を戻します。
もし、グルージャジャが自分の子供であることと後継者であることを分けて考えていたならば、そのことをもう少し丁寧に周囲――特に子供たち自身に伝える必要があったでしょう。
また逆に、自分の子供を優先的に後継者候補とするつもりならば、それに沿った教育内容を検討するなど、もっと早い時期から準備を行っているべきでした。
ゾラージャが父からの承認を十分に得られていないと感じてしまったこと、あるいはウクラマトが王都トライヨラ外の自国の事情について無知なままであったこと。いずれについても、グルージャジャにかなり責任があっただろうと、私は思います。
少なくとも、「連王」としてトライヨラの民の幸福を思うならば、決して褒められたものではありません。
そうは言うものの、彼の生い立ちや心情を思えば、無理からぬ部分は多々あったのかもしれず……ままならないものです。
トライヨラ側の事情:まとめ
ウクラマトが無知であったことについて、トライヨラという国の側に原因を求められそうな要素は以上です。
長々と書き綴ってしまったので、ここでもう一度簡単にまとめておきます。
トライヨラは大陸初の多部族共生国家であり、かつ、これが最初の代替わりである
→先例がなく、すべてが手探り状態である近年まで地域間の往来に難を抱えていた
→各地を訪ねるのはたやすくない書物の絶対数が少ない可能性が考えられる
→座学での学習にも困難がある連王グルージャジャの後継者問題への取り組みが遅すぎた
あるいは、方針がはっきりしていなかった
さらには、その思うところが周囲に十分伝わっていなかった
それでは、ここからはウクラマト個人が抱えていた問題について考えていきます。
ウクラマト個人の事情
暗殺を免れた族長の娘
ウクラマトの生みの親はヤクテル樹海のイクブラーシャに住んでいます。
ですが、ウクラマト自身は生まれ故郷について何も記憶していません。
また、グルージャジャの養女になって以降は、一度もヤクテル樹海を訪ねていなかったようです。
ウクラマトがトライヨラの王女となったいきさつは、以下のとおりです。
彼女がまだ幼かった頃、何者かによって殺されかけるという事件が発生しました。実父である族長フンムルクは娘の身の安全を図るために、表向きには娘が死んだことにして、秘密裏に連王グルージャジャへの許に送り出しました。
以降、彼女はグルージャジャの養女として成長します。
ここで重要なのは次の二点です。
幼いウクラマトの暗殺を試みたのはマムークのマムージャ族だった可能性が高い
女性が生まれにくいシュバラール族の族長の娘を殺すことは、一族の根絶やしに繋がる
ヤクテル樹海では、シュバラール族とマムージャ族が長きにわたって戦いを続けてきました。
その戦いが終わったのは80年前、グルージャジャが仲間と共にこの土地を訪れた時のことでした。
しかし、グルージャジャが平和をもたらした後も、シュバラール族とマムージャ族は完全に過去を水に流せたわけではありません。
戦闘こそ起こさないものの緊張状態は続いており、7.0メインクエスト開始時点では表立っての交流は途絶えたままだったようです。
そんな中でシュバラール族の族長の娘が暗殺されかけました。
これが表沙汰になれば、シュバラールとマムージャの戦争が再燃しかねません。
ウクラマトの実父であるフンムルクが事態の解決を隠密裏に進めたのは、単に娘の身の安全を図るためというだけではなく、部族間の争いを避ける意図もあっただろうと思われます。
こうしてウクラマトは王都トライヨラで育てられることになったわけですが、彼女の身の安全にはとりわけ注意が払われていたことでしょう。
イクブラーシャの族長の娘は表向きは死んだことになっています。ですが情報が洩れて、再びウクラマトの命が狙われないとも限りません。
そういった事態に備えるべく、ひとりで人目につかない場所には行かないよう、あるいは、断りもなく外には出ないようにと、自分で自分の身を守れるようになるまでは、かなり過保護気味に育てられていた可能性が考えられます。
ウクラマトは活発で好奇心が強い反面、けっこう臆病でもあります。生まれついての性格もあるかと思いますが、幼少時から「危険を避けるよう」躾けられてきた結果として身に着いた性質なのかもしれません。
こういった経緯があったために、ウクラマトはほとんど王都を離れたことのない姫君として育ったのだと思われます。
万が一のことがあれば部族間の戦争が起こりかねない姫君なのです。先に書いたような交通の問題もあったでしょうが、警備上の問題も大きく影響してそうです。
そのわりには、7.0メインクエスト「望んだ平和の形」では、単独行動を選択して攫われるという失態を見せています。
これに関しては、「本人が確たる理由を知らないまま周囲の配慮によって危険から遠ざけられてきた結果、かえって適切な警戒行動が取りにくくなってしまっていた」と解釈するならば、一応理屈が通らなくはない……かもしれません。
そもそもあのシーンに関しては、どちらかと言えば、案内人を装った誘拐犯に彼女がひとりでついていくのを止められなかった光の戦士たちの側に問題があると感じます。
※余談ではありますが、あそこ、プレイヤー視点では「ああこれ、このまま行かせたらだめなやつだ」とすぐに読み取れるのに、見送る展開にしかならないことにけっこうストレスを感じたんですよね。
誘いに乗るにしても、ウクラマトを一人で行かせるのではなく「誰かが付き添う」くらいの対策は取りそうなものなのに。
解決のためにコーナたちと一時協力するというその後の展開自体は歓迎できるものだっただけに、もう少し納得のできるきっかけは作れなかったものかと思ったものです。
なお、トライヨラの王宮で暮らしていた頃、ウクラマトはしょっちゅう王宮から抜け出して街へと出かけ、庶民の中に立ち混じって遊びまわっていたようです。
それが許されたのは、すでに彼女が護身に必要な程度の武術を身に着けていたのに加え、王都トライヨラは治安が良く、警備の目も届きやすい場所だったからだとすれば、矛盾はなさそうに思えます。
シュバラール族の女性
ウクラマトはシュバラール族、エオルゼアで言うところのロスガル族の女性です。
ロスガルの種族的特徴として、男女の出生比率に極端な差があることが挙げられます。
Encyclopedia Eorzea vol.3(公式設定本3巻)には、ロスガルの民族意識について次のような記述がみられます。
ロスガルとシュバラールではその社会構造に違いがあります。
ロスガル族においては族長を務めるのは女性ですが、イクブラーシャのシュバラール族の集落を見る限り、シュバラール族では族長を務めているのは男性です。
それでも出生率の違いといった生物種としての特徴は共通しているため、トラル大陸のシュバラール族も女性が害されるという事態は特に警戒すべきこととして位置づけているようです。
幼いウクラマトの暗殺未遂を「一族を根絶やしにしようという思惑が潜んでいる」ものと捉えたのも、対象となったのがめったに生まれてこない女性だからです。
彼女は将来的にシュバラールの「母」となるべきかけがえのない存在です。
ですので、養子に出したとはいっても、成人した暁には一族のもとに戻って子孫を残すことが期待されていたのではないでしょうか。
養父であるグルージャジャやウクラマト本人がどう考えていたかはわかりませんが、シュバラール側にとっては一族の趨勢がかかっている大事です。ウクラマトの将来――特に彼女が子供を産むか否かについては、無関心ではいられないはずです。
彼女がトライヨラの王となった今、シュバラール側はどのような考えを抱いているのでしょうか。
メインクエストの中で触れた実父フンムルクの言葉は純粋に娘の成長を喜ぶものに思えました。実際、フンムルク本人の心情だけに話を絞るなら、あのとき見せた通りの慈しみの情を抱いているように思えます。しかしシュバラール族全体として考えるならば、事情が事情なだけにもっと生臭い――もしくはきな臭い思惑があったとしても不思議はないようにも思えます。
この問題は掘り下げていくとかなりやっかいなところに行き着く可能性がありそうです。
今後のストーリーの中でどの程度扱うのか――あるいはまったく触れずに済ませるのか、不安を抱きつつ見守っていきたいと思います。
結論:そもそも王になるつもりではなかった?
それでは結論に入ります。
周辺情報をひととおり見てきた今、私にとってもっともしっくりくるのは、「『継承の儀』の話が持ち上がるまで、そもそもウクラマトは自分自身が王になるとは想定していなかったのではないか」とする解釈です。
ウクラマトはおおらかで大雑把なところはありますが根が素直なので、必要性を理解していたならば多少難易度が高いことでも努力できる人物だろうと思います。王たる者に必要とされる知識を身に着けられていなかったとすれば、それは彼女が「自分には必要がないと思っていた」からではないでしょうか。
周囲もまた、ウクラマトに対して「トライヨラの王たれ」と積極的に望んでいたわけではなさそうです。
実際、メインクエスト「継承の儀」で候補者のお披露目を行った時、バクージャジャの紹介が終わった時点で、ウクラマトの番を待たずに人々は次々に広場から立ち去っていきます。
このシーンによって「ウクラマトが候補者であるとは思われていない=彼女が王になることは期待されていない」ことがわかりやすく示されています。
もっとも、王になるつもりがないにしても「王女」という立場にあるならば、自国についてそれなりに理解している必要があります。そういった面から見ても、ウクラマトの知識は「足りている」とは言いがたいかもしれません。
ただ、トライヨラという国を取り巻く事情を見ていくと、現代日本に生きる私たちが思うよりも「知る」ためのハードルが高めであることも察せられます。
継承者候補として立つまでのウクラマトの動きを想像してみるならば、次のようなものになるでしょうか。
武力を誇るゾラージャと知識豊かなコーナ、ウクラマトのふたりの兄はそのまま連王の武と理に対応しているかのように見える。
トライヨラの未来を担うのは兄たちであって自分ではない。兄に及ばないことを引け目に感じつつも、ウクラマトは「いまだ幼い末っ子」の立場に甘んじて、「明るくて気さくな王女」として日々を過ごしてきた。
だがあるとき、外征論を説くゾラージャにウクラマトは危機感を覚える。
ゾラージャの言葉に従えば平和は失われ、日々親しく付き合っているトライヨラの人々から笑顔が奪われるだろう。それはあってはならないことだ。
その想いによって、彼女は自分自身が王になる決意を固めたのだった。
こういった筋立てならば、ウクラマトが兄たちに対してコンプレックスを抱いているにもかかわらず王になろうとしたことについて、比較的すんなり説明がつくように思います。
ただ、そうであるならば、私はもっとはっきりしたエピソードとして見てみたかった。
彼女が「ゾラージャには任せられない」と悟った瞬間、「自分が王にならなくては」と決意した瞬間、あるいは「今目の前にいるこの人の、この笑顔をこそを守りたい」と実感した瞬間こそが、丁寧に描くべきシーンだったのではないかと、私には思えます。
ただ、作品としては「今、出来上がっているもの」がすべてです。
描かれていない事柄については、受け手の想像に委ねられているものとして受け止めるのみです。
今後さらなる掘り下げが加わり、今思い描かれているものとはまた違った風景が見えてくる可能性もありますが、今のところはこの文章で書いてきたものを私にとっての解としておきます。
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