見出し画像

(5)1572年 三城館(さんじょうやかた)

小説「大村前奏曲(プレリュード)」序章 Vol.5

これまで、これからの各話のマガジンはこちらから


「早いものであれからもうふた月以上に成りますかな。何度かこうやってお会いするうちに随分御館様らしゅうなられた。ここでの暮らしはどうでございましたか。」
「おかげさまで傷の具合もすっかり良い感じです。本当に富永殿は命の恩人です。あなた様に見つけていただけなければ純忠公と一緒にとどめを刺されていたかも知れませんし、もとよりあの時の事故で私は死んでいたのかも知れないのです。」
「私のことをそう呼ぶのはおやめください。前から何度も申し上げているではありませんか。又助で良いのです。皆の前でつい口が滑ったらどう言い訳なさいますか。くれぐれもご注意を。」
 そんなこと、理解してはいるのだがこの状況になってから私が気を許せるのは彼と二人きりで庭を見ながら雑談している時だけだ。「暮らしぶり」と聞かれたところで答えようもない。たしかにあれから夏の間ははじめて長崎に降り立った日のことを考えれば随分涼しかった。冷夏だったのかそれとも気候変動の影響か。となればこれから先の冬が思いやられる。当然エアコンもない木造建築だ。夏でも明け方に隙間風がひんやり感じたぐらいだ。現代人、いやあの時代の人間の私にここの冬が越せるのか。あの時代ですらこの地の温暖なイメージに反して結構寒いというのに。
 あの時代。とは言ってはみたがまだ完全に今の状況を受け入れたわけではない。夢にしてはあまりにも長すぎるがタイムスリップなどとは信じたくもない。
「あなた様は一国一城の主ですぞ。」
 心を見透かしたように彼は私を一喝した。
 そうなのだ。決断せねばならないことが山ほどある。どうしたらいい、どうしたらいいのだ。私が調べていた文献によればこの二年後には全領民をキリシタンにするとあった。そんなこと本当に実行していいのか。だがタイムスリップを受け入れたとして、もし史実が事実なら過去を変えてはならぬ。とにかくハイツの棚に積んでいた資料全てをここに欲しい。願わくばパソコンと電源も。
「御館様は何処から来られたかは存じ上げませぬ。お尋ねしようとも思いませぬ。ただこの大村のことをよおく御知りじゃ。先の純忠公とはえらい違いで家臣も大事にされておりまする。この老兵富永又助、生涯をかけて御館様にお仕え申し上げます。なんでも御随意にお申し付け下されませ。」
 とは言われても急には指図を思いつかない。でも二年後と言えばそうだ。あれだけは早く止めねば。まだ間に合うはず。
「領内の寺はどうですか。まだ何も起こってませんよね。」
 大村純忠が寺社を全て焼き打ちしたことは文献や住職の話で知っていた。ただ年代がはっきりしなかった。ネットで調べた挙句、とある歴史マニアの記述に一五七四年とあった。
「焼き討ちならばもう始まっておりまする。御館様はまだ直接指図しておられませんがその意図を身勝手に都合良く考えた宣教師たちが一部の民や家臣を巻き込みこの近くの西教寺や本経寺はじめいくつかの寺は既に焼かれた後で御座います。先の一件で高明様が大村を攻めたのもそれが理由の一つかと。高明様はもとはといえば大村家の嫡男。あなた様は有馬からの養子の身に御座います。よって家臣や大村分家の中には武雄に通じる者も未だ多く。あの方はあの方なりに大村を取り返そうとなさると同時にこの地を守る意思もお有りなのでしょう。で、どうなさいますか。」
 もちろん答えは決まっていた。この件に関してだけは私は史実なんかどうでも良かった。まだ夢半分だったし。ただあの親しく通った寺を守れなかったのは残念だ。
「そういえば純忠公の亡骸はどうされましたか。」
「その丁重な言葉遣いをご指摘申し上げているのです。どうした。でいいのです。ご心配なき様、あの亡骸はその夜のうちに荼毘に付し、少しは寺として体をなしていた城下の宝生寺に埋葬いたしておりまする。」
「あいわかった。これで良いのか。」
「宜しゅう御座います。後ろが余計ですがそれで良いのです。」
「キリシタンのことは又助はどう思う。領民に押し付けて良いものか。」
「大村家や御館様ご自身が洗礼を受けております。時の流行りと言ってしまえばそれまでの話ですが致し方なき事かと。今の城下を考えれば民たちの心のよりどころも必要なのでは。」
 そうなのだ。肥前大村は日本のキリシタンの中心地である。かのルイス・フロイスの文献でも信長や安土に関することが有名だが、実は大村についての記述がかなり多いのだ。
「後の世に弾圧されることになってもか。」
「そん時はそん時のこと。今の御館様なら時の流れというものもよく理解しておられる。なんでんかんでんお好きになさればよか。あなた様ならきっと大村を守ってくださると信じておりまする。」
 ユーミンのあの曲が耳に浮かんだ。音楽など口ずさんだこともないのに。
「ところで喜前(よしあき)様はお元気か。」
 純忠公の嫡子である。私は幼名を覚えていなかった。なのでその名前では通じないとも思ったが又助は理解したようだ。彼のことは頭の隅っこで気にはなっていた。将来たとえ二年程とは言え他の子供たちとともに佐賀の龍造寺に人質に取られることになる。だが今の私は自分自身の状況を理解することで一杯いっぱいだった。
「玖島の家臣の屋敷にて走り回って居られまする。あれより一度もお会いになっていないとか。」
「どうして父親ぶって会うことができるというのだ。父でもないしそれに私には子供は居ない。武家の父子としての接し方もわからぬ。」
「そのお年で子が居ないとは心配でございますな。奥方様は。」
「妻はおる。名は文と言う。」
 どさくさに紛れて妻と言ってしまった。この時代に同居人と言っても理解されまい。
「私の居た場所では三十過ぎ、四十前後で結婚するのはごく普通のこと。」
「それでは幾らも余生がありませぬ。」
「いや、医学や学問も進んで人間九十年と言ったところだな。宮仕えの仕事は概ね六十までだ。職人や商人は七十、八十まで働く。私は快く思っていないが宮仕えした役人の中には辞めた後、商人の寄合の調整役と称しさらに人並み以上の給金を得る者もいる。」
「長寿は誰もが願うこと。多少の阿漕あこぎはあってもなかなかの良い世の中ではございませぬか。」
「そうとは言えぬ。世界中で人も増えた。物も多く必要になった。その取り合いで貧富の差も大きい。石油の燃やし過ぎで町も暑い。そのせいで居なくなった生き物も数多い。海が高くなって住む場所を奪われそうな人たちも居る。難儀な世の中だ。おまけに厄介な武器も生まれた。全世界の人々や生き物を何度も絶滅させられる武器だ。それを競い合って造っている。意味のない馬鹿げた話だろう。」
「それでも御館様がここに居られるということは、この大村は何百年後も生きているということで御座いましょう。」
 なんとも言い返せなかった。
「横瀬はどういたしましょうか。いっこうに荒れたままとのことで御座いますが。」
「今はこのままで良い。当家としては手を出すな 。私に考えがある。」
 いずれ長崎の代わりの港を探さねばならないのは確かな様だ。江戸年間大村がいかに経済を維持してきたのかも疑問だった。いろいろ西海方面も回ってはいた。それらの記憶をたどってモヤっとした状態のものはあったが今の時点では具体案など何もない。
「多以良は信用に足るか。」
「先の一件でも真っ先に援軍を申し出ておりました。大村家を二分して松浦に大敗した葛が峠の合戦でもしんがりを務め弾正親子が討死してまで純忠公の御命を守っております。その御心配には及ばぬかと。」
 確かに以前首塚は見に行った。南風崎はえのさきのハウステンボス駅の近くだ。子孫の会が整備したようだが案内に書かれた文言を鵜呑みに信じてはなかった。まあ重臣として幕末まで仕え通したのだから頼っても良いのだろう。ただ地理的な疑問だけはずっと残っていた。大村からはかなり離れた、それも大村から見れば半島の裏側になる西海の地がどうしてずっと大村領だったのか。それに家臣として見たならば新参で互いの関係から言えばもともと対等に近いはず。そもそも最初に赴任した松浦領を捨てた理由もはっきりしない。今は何かしらの共存関係だったと考えるしかない。


(続く)



※加藤高明 大村家の嫡男でありながら松浦氏の養子となり武雄の領主に。
      一方大村家を継いだ大村純忠は島原の有馬家からの養子。

※玖島城址

大村城(玖島城)が築城されたのは大村喜前の代になってからです。

※三城城址

Google Map

※西側の半島部分が概ね現西海市域です。(中央の海は大村湾)

Google Map




🔺
🔻


全話のマガジンはこちら


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集