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(17)1576年 見えない敵

小説「大村前奏曲(プレリュード)」序章 Vol.17

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 私にはやっと落胆という名の覚悟が芽生え始めていた。どうやらこのまま大村純忠としてこの時代に生きるしか無いようだ。ここまで感じるのにすら既に四年もかかっていた。
 富永殿は相変わらず家臣たちと私との間に入ってあれこれ動いてくれている。私自身はというと、領主の仕事というよりも以前のかすかな知識や記憶を頼りにしながら何かにつけ参考意見を述べているに過ぎない。それを私の決定として彼は家臣たちに伝えているのだ。おかげであの一件以降領内は平穏に保てているようだ。
 この日はこの先近々の少しまとまった話をしておかねばと思い彼を呼んだ。
「松浦や武雄の動きはどうだ。」
「今のところ目立った動きは在りませぬ。ただ反キリシタンという面でも龍造寺との関係が近く、当家としては懸念の種かと。」
 やはりそうなるか。山の向こうとは言え佐賀の龍造寺は強大な力だ。言わば見えない敵なのだ。多良岳の山々が町を守っているとはいえ過去には萱瀬谷でも有馬との間に合戦が起きている。もとの時代では佐賀県鹿島への国道が整備されて車なら数十分の距離だ。国道444号線で地元では「しあわせ街道」と名付けている。それ以前の古くからも山道を少し超えればいちいち彼杵回りしなくとも嬉野辺りにはすぐに行けたと言う。「すぐ」とは言っても半日や丸一日は要しただろうがこの時代の人々にとってその程度の山歩きは日常のことだ。この先も龍造寺が萱瀬谷から侵入した記録はないが敵がこの谷を下ってくれば大村にとっては致命的だ。用心に越したことは無い。それが無かったとしてもどっちみち龍造寺は大村にとんでもない要求を突き付けて来るのだ。
「彼杵からの街道は御心配には及びません。岩永家が家名をかけて守って居ります。」
 そう、大村市街地は一見すると東を多良岳、北と南には溶岩流の丘陵地帯という城下町の定番のような守りの固い土地に思えた。が、武雄が目前の敵である以上実戦的に考えれば案外北側の大村湾沿いは無防備なのだ。松原あたりの小さな丘陵を超えれば彼杵町。武雄へも簡単に繋がっている。彼杵の先の川棚からもそうだ。波佐見へも抜けれるし多少の丘陵地帯は越えねばならないが南風崎のハウステンボスのところまではすぐだ。あとは川のような早岐瀬戸沿いに佐世保方面へ通じている。これらのルートを使えば松浦のどこからでも大軍が押し寄せることが簡単なのだ。現実に三城の一件はその通りではないか。葛が峠のこともある。いつどのラインまで松浦方に占領されてもおかしくはないのだ。それに抗戦する力は今の大村にはない。
「萱瀬谷はどうだ。私にはこの先を考えれば龍造寺の方が脅威に感じている。滅多なことであそこからは来ないだろうが守りを固めておいて欲しい。それと民心も大事だ。西教寺の修復を急がせた方が良いだろう。」
 私自身が見落としているだけかも知れないのだ。史実に無いとはいえとにかく不安だった。寺の件も私に縁のある寺だから命じたのではない。あくまでも領主の立場としてそう感じたのだ。ただ言えるとすれば、あの寺が大村の町を守っている。その思いだけは以前の私もこの時代の私も同じだということ。それだけだ。
「龍造寺に対するとなれば豊後に援軍を頼んではいかがでしょう。豊後大友なれば同じキリシタンで同盟の間柄。」
「いや、豊後はあてには出来ない。」
 大村、有馬、大友ラインで松浦、龍造寺を包囲するキリシタン同盟を築いてはいるが豊後とて目先の問題は島津だ。到底援軍を回せる余裕などない。それにいずれ力が衰える大名である。実際のところ龍造寺に関しては秀吉の九州入りまでどうにも出来ないのだ。
「又助、良いか、数年先のことだがこれからが大事な話だ。」
「何で御座いましょう。」
「一旦は龍造寺との和睦も可能かもしれない。だがその後向こうは人質を要求して来る。それも子供たち全員だ。今の大村の状況では仕方のないことだ。無条件降伏と言っても良い。とにかく耐え忍ぶしかない。他の家臣には話すな。又助の心の内だけでよい。」
「何も手立ては無いのですか。」
「どうしようも出来ない。頼りない領主であろう。」
「滅相も御座いません。この四年もの間いつも先を見据えて御指図いただいて居りました。その御館様が策無しとおっしゃるならその通りかと。」
「ただ一つだけ無いことは無い。喜前様、いや新八郎君とはあれからも一度もお会いして居らぬ。随分大きくなられたとは思うが疎遠にしているのを逆手にとって私と不仲との噂を流すのだ。城下はもちろんだが特に佐賀にだ。そのことが人質として取られた喜前様を救うことになる。私の読みでは龍造寺はまず地形的に攻めやすい有馬から手を着ける。となれば有馬からの養子の私が邪魔なのは解るだろう。向こうは私の蟄居を要求して来る。場所は武雄の目が届く波佐見あたりだろう。それも家臣もつけず単身でだ。だがそれで不仲のうわさが役に立つ。喜前様は私を追放し龍造寺の配下として家督相続、この三城に戻ることが出来るのだ。それしか策は無い。」
「とは言ってもそれでは御館様があまりにも危のう御座います。」
「のこのこ波佐見へなど行かぬ。坂口に家臣の使っていない屋敷があったな。そこに隠れ住むことにする。どっちみちあの屋敷は私の隠居所になるのだ。」
 実際に波佐見蟄居の要求があったのは史実に残っている。だが純忠が波佐見で暮らしたこともこの三城を出た記録もましてや道中の目撃話すら一切無いのだ。
「喜前様が戻った後は有馬攻めを命じられるだろうが有馬とは戦いを交えてはならぬ。密約を結んででも避けるのだ。実際に合戦となれば空鉄砲でも空大砲でも見せかけだけで良い。先々の大村にとっては龍造寺よりも有馬の方が大事なのだ。」
 史実にも残る「空鉄砲の戦い」である。また有馬はいずれ幕府から越前丸岡を拝領、丸岡と言えば越前結城松平の分家が治めていた隣藩でもある。有馬は外様から譜代格を得て老中職まで務めるの大名だ。結城家のことも調べてはいたが今は関係ない。とにかく有馬には「貸し」を作って損は無いのだ。確証はないがこのことも大村が明治まで残った理由の一つかも知れない。
「では先ほどの西教寺の修復の件もそれを踏まえてのことでよろしゅう御座いますね。」
 実のところそこまでの算段は無かった。が彼の言う通りだ。隠れ住むとは言っても隣の寺には秘密には出来ないだろう。敷地も繋がっているのだ。それに焼き討ちの件も詫びねばならない。だとしたら早い機会に手紙でも託して事情は伝えておかねば。この時代のあの寺の主がどういった人物かは知らない。だがあの時代での付き合いのせいで安心感だけはあった。事実隣の館が純忠公終焉の地ということはそれなりの付き合いがあった筈。そういうことで構わないのだろう。
「すべて御意のままに。」
 彼は深々と頭を下げいつも通りの庭先を去っていった。私にとってはこの四年間、毎回のように孤独感が蘇る瞬間でもある。



(続く)

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