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(3)2018年 上司のこと

小説「大村前奏曲(プレリュード)序章 Vol.3

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 この年の春、私は防衛省に入省した。だが短い研修の後に配属されたのは地下の薄暗い部屋だった。
「よくドラマで見るこのパターンか。」とつぶやいたのを記憶している。そりゃそうだ。定員枠の少ないこの省に採用されたとは言っても成績的にもほぼ最下位だったろう。おまけに何のコネも無い。エリート街道の可能性に少しでも期待していたのが自分の中で少し気まずかった。
 上司はたった一人、名前は太田牟礼伏(おおたむれぶす)。階級は一佐で航空自衛隊からのたたき上げ。福井県若狭の出身らしい。見た目の印象は制服なら貫禄がありそうだったが背広姿だったのでただの「おやじ」。自衛隊では階級を数字で呼ぶが古い言い方をすれば大佐である。正確には空自出身なので「一等空佐」だ。
 どれぐらいのレベルか解り易く警察ドラマに例えると警視か警視正ぐらいだろう。役職でいえば警察署長や本部の管理官あたりだ。ノンキャリとしてはそれこそ捜査一課長を除けばほぼ最高の出世と言うことになる。ちなみに某局の「踊る大捜査線」では次々登場する管理官が全てキャリアの役職で捜査一課長よりも発言力が強いように描かれているが一般テレビマニアとして知り得た情報では管理官は概ねノンキャリアの警視が担当する役職である。現にテレ朝系列の「捜査一課長」では各管理官はたたき上げであり一課長の指揮下で動いている。どうやらこちらの方が現実の警察機構に近いのかも知れない。
 私は、と言うと自衛官として現場に出されることも想定はしていたが、情けないことに受験の直前に判ったのは国家総合職で防衛省に入ったキャリアと自衛隊のキャリア、すなわち幹部候補生では体系が異なっているということ。言い換えれば特別国家公務員の「武官」である隊員の体系と「文官」である背広組の体系は全く別なのだ。
 いまさらのようだが私はあくまでも官僚なのであって滅多なことでは現場には出ない。出世コースも目指すのは統幕議長ではなく事務次官なのだ。だから研修期間も短かったし現場では一般知識程度のものでしかなかった。世間で言うキャリアのイメージで言えば防衛省に限っては自衛隊の幹部候補生の方が近いだろう。
 そういうことで私には自衛隊で付くような階級も無い。肩書が付くまでは単に「部員」と呼ばれ一年目の私はその一番下っ端に過ぎない。これが警察庁なら新米でも「警部補」スタートなのだが。太田一佐が自衛隊キャリアなのかそうでないのかは本人に確認するしか手段は無いが今の私にはそこまで尋ねる必要性も感じない。とにかくこの「太田一佐」と二人きりの「資料分析班」というのが私の部署なのだ。
 同じ一佐でも「葛城一佐」なら憧れの人物だが当然程遠い、それに二人きりって特命係じゃあるまいし。おまけに資料とは言ってもデジタルは皆無、全て紙ばかり。古いものは戦国時代の合戦の記録や各地の絵図面、新しいものは高度成長期のニュータウンの開発記録、ごく近年の都市計画記録や各地のハザードマップまである。
 どうやら他の省庁とも連携して現存する紙の資料を「とにかく分析する」というのがここの仕事らしい。とは言っても何をどうやれば「分析した」ということになるのだ。
 いくつかの資料を見て仕事をしているフリをしながら過ごして三日目のことだった。
「退屈か。」太田一佐が切り出した。
「いえ、決してそんなことは。」
「もう少し辛抱してくれ。暫くしたらいきなりだが君には国土交通省へ出向してもらう。任地は長崎だ。それまでの間にだいたいのことは伝える。」
 自衛隊に配属されることは覚悟していたがその可能性はほぼ無い。だがいきなり国交省と言われても何が何だか。この人は私に一体何をさせるつもりだ。それにそれまでこの紙の資料に囲まれて何を準備しろと言うのだ。
「君は試験の出来のせいでこんな地下の部署に配属されたと思っているかも知れないが、私が指名して来てもらった。まず未来を見るという名前が気に入った。下の名前もな。あのお方には数字が二つ足りないがな。いや三十七かな。それに君の学んできたことはきっと私の目的の役に立つ。そう確信している。それにこれより先に進むにはキャリアである君の力が必要だ。」
「目的、って何ですか?」
「それも時が来たらおいおい話す。今は知らなくてよい。」


(続く)



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