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(8)2021年 住職

小説「大村前奏曲(プレリュード)」序章 Vol.8

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「あらま、文さんかいな、よう来たね~。上がって上がって、とざむはいつも来とるけんどうでんよか。」
 いつもながらの住職である。
「一緒に住みだしたって、ほんで籍は入れんとや?」
「そのうちに。」
「そいやいよいよ新幹線が来るみたいやけど誰が利用すっとや。それも大村やなしに諏訪のとなりに新大村って余計誰も使わんって、素通りされるよりましやろけど言うて笑い話んなっとるわ。あーごめんごめん、とざむは国交省やったね、百も承知か。車両基地駅も作るってかい。」
「まあ、鉄道マニアの聖地にはなるかも知れませんよ。日本初の駅名なので。」
「じゃあ今のうちここの崖も宣伝しとかなあかんね。岩と鉄道ならブラタモリ来てくれんかいな。市長とNHKにタモリさん呼べって言うてみよか。」
 彼の中途半端な関西弁はおそらく本山の京都通いのせいだろう。
「そうそう、こないだ神式の葬式に呼ばれて出たんや。あくまで知人の参列者としてよ。前の順番の人もこうやって榊を回して拝んどるんや。俺もギリギリまでどうしようか迷たんやけどね、作法も間違うたらいかんけんとうとう言うしもた。それもついでやからでかか声で、南無阿弥陀仏。って。周りの知り合いは皆笑うとったわー、住職ならやると思うとった、って。」
 文も住職独特のおちゃらけな話に本気で笑っているみたいなので少し安心した。
「とざむ、今日はせっかく二人で来たんやから隣の庭園ば見て帰らんね。あんたも初めてやろ。坂口館さかぐちやかたっつうて純忠公の隠居所で終焉の地たい。市には観光名所にすんならもっと手入れして宣伝もせえ、って言うとるんやけどね。そしたらうちの寺もちょっとは名所になっとに。外から回らんでも庭から通じとっとやから。あんたも県の観光課に机のあっとやろ。なんとかならんね。」
 隣の館には実は一度訪れてはいたが大した情報も無く五分足らずでスルーしていた。それに私の仕事は観光振興ではない。やっていることは観光に毛の生えたようなものだが。
 そういうことでも平気で言えるのが住職の実直で人なつっこいところであり周囲から慕われ人格者と呼ばれる所以である。
 ただ一点、地元の人から聞いたことがある。「住職の話は為にもなるし声もよか、面白い話ばかりだけれど長すぎる。」と。
 その時だったか別の時だったか定かではないがこんな話を聞いた。
「京都に行ったとき、植物の学者さんに聞いたんや。科学とは何ぞや。って。去年からこんな世界中で訳のわからんことも起こるし。んで、前に同じこと聞いた時に君が言うとった、探究心そのもの。みたいなことも投げてみたんや。そしたらね、それも間違いやないけどその学者さんにとってはね。今あるモノを残すこと。やって言うんや。科学を探究という意味だけで言えば確かに一歩ずつではあるけども前進はしとる。科学があっての技術というのも確かだが、その逆もある。いろんな物事の解明が進むと同時に技術も進歩する。研究の手段の進歩や新しいアプローチが見つかったときに研究対象のモノが無ければ真実には近づけんということらしい。モノを残さねば単にその時その時の研究成果で終わってしまう。遡っては何も検証できないということらしい。今解らんことを将来解るようにするためにもモノは残さなあかんと言うとった。そりゃそうやね。いくらDNAの研究が進歩してもDNAが残っとらんかったら絶滅した生き物のことはわからんままやもんね。仏の道で考えたら未来のためには人の心も町も含めてモノを残さなあかんということたい。うまいことまとめて今度なんかの折に使おうと思うとる。それでも先生が言うにはいずれ近いうちに、なんや、DNAしか残っとらんのかい、って時代も来るかも知れんて。これは話のオチにちょうどよかよ。」
 この話の意味を私はいずれ身を以って体験することになる。



(続く)


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※NHK「ブラタモリ」は2024年3月で放送終了のようです。
(大村には来んやったか?)
※後半の科学のくだりは同じくNHKEテレ「ヘウレーカ」を参考にしています。


※こちらの曲に引用した西九州新幹線「新大村駅」発車メロディ(作曲:向谷実氏)はこちらです。(ただし非公式)
他の駅ももちろんいいけど特に向谷さんらしくてカッコいいのです。
(敢えて聞いていただきたくてリンクさせていただきました。)
※4月に大村へ帰ります。その際にもし自分で録音してこれたら「限定公開」で差し替えます。



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