十一月は君の嘘
何年か前、アニメ『四月は君の嘘』を観た。中学生が主体の話ということもあって、正直乗れなかったし、すでに「とにかく感動する・泣ける」話題作という触れ込みもあり、そういう部分は少し醒めた想いで結局ラストまで観てしまった。
原作は新川直司の月間少年マガジンに連載されたコミックだ(アニメしか観てないけど)。
しかしやはり、観た者に忘れがたい印象を残す作品であると思った。その盛り上がりを最高度に魅せるのは、終盤、主人公の有馬公生が演奏するショパンの「バラード 第一番」であろう。僕はこの曲にほとんど憑りつかれており、たとえば、2002年に公開されたロマン・ポランスキー監督の『戦場のピアニスト』におけるシュピルマン(俳優:エイドリアン・ブロディという人らしい)の圧倒的な演奏シーンが大好きだ。他には、辻井伸行さんの演奏も好きだし、ショパン弾きの名手であるツィメルマンやブレハッチの演奏を聴き比べするのが好きである。
他にも、有馬公生とヒロインの宮園かをりが奏でるサン=サーンスの「序奏とロンド・アプリチョーソ」(Wikipedeia参照しながらタイトル書いてます)という曲の奥底を流れる静謐な悲哀さなども、大人っぽくてとても良かった。
このアニメの中でよく思い出すシーンがある。それは有馬たち、若き才能にあふれたピアニストたちの、壮絶なピアノコンクールの場面だ。その中に、金髪で目の細い相座武士(あいざたけし)という人物がいる。有馬と同じ中学三年生で、他を寄せつけない神童中の神童であった有馬がコンクール活動で挫折するまで、彼に追いつきたい追い越したいと必死で腕を磨き続けた、いわば「努力の天才」だ(もちろん、相座の才能は元から群を抜いているわけだけれども)。
有馬公生が中学生になってコンクールからすっかり姿を消してしまっていた間、相座は有馬のことを遠くで想いつつ、相変わらず活動を続け、首位の座に立ち続ける。しかし、『四月は君の嘘』は、数々の栄光に預かっているはずの相座が、自分の出番の直前まで過度の緊張によりトイレで吐瀉し、不安で身体が震えるさまを繰り返し描くのだ。
そしてそれにも関わらず彼は、本番の演奏で見事な結果を残すのだった。
そこには、天才たちの抱えざるをえない孤高が描かれているのだと思う。輝かしい舞台で名誉を浴びる者の、隠された絶望や必死の努力を、余すところなく表現している。こういうところがとても好きだ。
『四月は君の嘘』は、ピアノを弾くと自分の演奏する音が聴こえなくなってしまった有馬が、突如として彼の前に現れた謎の美少女・宮園かをりとの出逢いを通して、己のトラウマと、己の周囲を取り巻く「外側の世界」に立ち向かっていくビルディングス・ロマンスだ(そんなもったいぶった言い方をしなくても、青春物語であり、トラウマとの向き合いであり、喜劇と悲劇であり、思春期にあるキャラクーたちのそれぞれの成長物語である)。有馬公生が懸命に弾く、ショパン「バラード第一番」の、いわば極端な躁鬱的な、甘美な栄光から激化された絶望へと続く、まさに「生」としか言いようのない情感の在り方に、今でも感動を覚えてしまう。