死が可視化されたら困る奴等
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200723/k10012529561000.html
この話題と必ずセットになるのが安楽死なんだけども、自分としてはムダに長く生きたくはなく、ましてや若者に自分の糞の始末をさせるには忍びなく思っている。
これに対して毎回出てくる反論。
「難病や余命僅かな人間に圧がかかりが「自発的に」「本人の意思で」安楽死を選ばされる」という。
https://togetter.com/li/1362700
で、俺は毎回これに対して「なら政府も世間もそろって結婚してくれ子供を生んでくれって圧をかけてるけど、ちっとも少子化が改善されないのなんで?」と聞いてるけど誰も答えやしない。
そもそも論でいうと、既に「死ね」なんてワードは飛び交ってるし、首都圏なんか人身事故で電車が止まろうが誰も自分の利害以外気にもしていない。
他人に対しての緩やかな死に向かわせる圧は既に充満している。ここにもし安楽死を物凄くカジュアルに出来るようにしたら、恐らくそこにはかなり具体的な死への入り口が可視化されるのではないか。
そうなった時に一番恐れ慄くのは、これから死に向かう人間ではなく(別に安楽死があろうがなかろうが自殺者は毎年2万人以上もいる)、カジュアルに死への圧をかけている奴等自身ではないのか、と思う。
「死ね」と言った後、言われた人が死んだ時、「そんなつもりで言ったんじゃない」とかいいそうな手合が一番反対してるんだろう。