「総論賛成各論反対」の方がマシな話
https://togetter.com/li/1362700
から
の流れの中でちょっと雑というか枝葉に流れた感があったので一度整理し直す。
そもそも論でいうと、まとめの中の、「世間や社会から圧がかかる」というのは、それはここでするべき話じゃないよね? というもの。
「世間の圧」がどうとかは手段、手続き、運用の段階でする話であって、目的論の話がまとまってない、あるいは合意が取れていない時にするものではない。議論の作法として死ぬほど雑である。
恐らくだけど、ここで雑な混ぜ返しをして本論を流そうとしているのではないかと推察する。何故なら似たような手合を幾度も見たから。
なんでこの記事に切り出したかというと、この手の目的論と手段の混同は、上でいった似たような手合、つまり社会運動家や政治運動家の常套手段だったことを思い出したからだ。
一つの例がもう15年以上前になるけど、エイベックスが「のまネコ騒動(ググれば出ると思うから割愛するけど著作権絡みの問題)」のときの反対派が取った行動そんな感じだった。著作権論の話をしている時にBPOに持っていったりとか平気でする。曰く「子供が酒を飲む真似をしたら危険」とか。
もう一つの例が、某宗教団体が教団施設を新たに作ろうとした時の反対派住民を巻き込む時のやり方もそうだった。
何故反対するべきか、この教団の何が問題か、この施設ができることによってどういう問題が起こりうるのか。
といった根幹の議論ではなく、教団施設の工事の不備を突くようなことをする。建築法の手順に沿っていないのでは、とか杭打ちの有無を詰めてた覚えがある。
こんなだったらまだ安楽死に対して脳天気な命の尊さを訴える手合の方が、まだ目的論の範囲という意味でずっとまともだ。
そういう意味で「総論賛成各論反対」というのが上記のまとめのような雑さに対してずっとマシだ。少なくとも目的論(総論)の最中に手段手続き運用(各論)の話なんかしてはないからだ。