誰か優生思想と社会淘汰の線引について説明してくれないか
始めに強調しておくと、本稿では優生思想と社会淘汰の是非については論じない。
と、断った上で、RADの人の以下のツイートが否定的な方向でバズっている。
前も話したかもだけど大谷翔平選手や藤井聡太棋士や芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないかと思ってる。
— Yojiro Noda (@YojiNoda1) July 16, 2020
お父さんはそう思ってる。#個人の見解です
是非については論じない。だが続いてこういうツイートは肯定的にバズっている。
知り合い(≠友達)の40歳男性。そろそろ親の介護も心配だし子供もほしいから結婚したいけど、自分が稼いだお金を使われるのは嫌だと。なかなかいい相手がいない、と悩んでいた。誰か紹介してくれと言われたけど、それは大変だね、とだけ言っておいた。大事な友達をそんなやつに差し出せるかボケ。
— 楽しく生きたい (@tanoshikuikit) July 23, 2020
これはどう見ても社会淘汰にしか見えない。
受け入れがたい人間を受け入れろ、という論をここで展開するつもりはない。
で、俺にとって珍妙不可思議なのは、優生思想について否定的にバズるということは、優生思想が否定的に受け止められている証左なんだろうけど、では何故社会淘汰についても肯定的に受け止められるのだろうか?
俺にはどう見ても同一の命題にしか見えない。
- 残るべき人間を優先して残すこと
- どうみても好意的に受け止められない人間の繁殖の優先順位は下げられてもしょうがないこと
これらのテーマは同じ被写体のネガとポジの関係にしか見えないのだが。
なんでこれらを全く違和感なく区別できてしまうんだろう、と本当に心から不思議でしょうがない。