荒神谷は、銅剣保管に最適だった!
出雲で大量の銅剣が荒神谷遺跡で1984年に発掘された。荒神谷遺跡は島根県簸川郡斐川町にある。
銅剣は、弥生中期のもので358本も確認された。当時としては、一箇所からの発見数はおろか、これまで知られている全国の銅剣総数をはるかに越える数で大きな衝撃が走った。下の写真は発見場所の様子である。
なぜこの地に埋められたかは現在までよく分かっていない。この発見場所の付近の様子は下図で表されている。
ここで多量の銅剣がなぜこのように埋められたかについて考えて見よう。何時頃埋められたかは不明であるが、おおよそ千五百年だとしても発掘された青銅の銅剣が綺麗に見える。
すなわち、この荒神谷そのもの地形的な特徴を見ると、
★斜面に沿って埋められている
★斜面は南向きである
要約すると、日当たりが良いい方向に、斜面に沿って土中の水分が溜まらない湿度が低く保持できる場所・埋蔵方法で埋められていたという、事実である。
さらに個々人が青銅器を持ち帰るのは重い事や保管にも配慮が必要になるので、個人や集団の保有する青銅器を集めて保管する方が合理的である。
これからのことから、古代の人々は、青銅品の保管・保存に最適と思われる場所・向き・埋め方を選択していたのである。
これは各地で見られる青銅器の大量発掘現場に共通する事実である。
ちなみに大量の弥生青銅器が発見された荒神谷遺跡より約3km離れた場所にある加茂岩倉遺跡がある。加茂岩倉遺跡の銅鐸埋納坑からは39口の銅鐸が出土したが、これは1つの遺跡からの銅鐸の出土例としては最多である。
この銅鐸が埋納された場所の地形は下図(全国遺跡総覧より)である。
この加茂岩倉遺跡も同様に埋納については南向き斜面が選ばれている。
まさに古代人の智慧を窺うことが出来る好例である。