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【日本古代史】連載その17:海を越えてやって来た神々―卑弥呼以前・・国が始まる、そして「古事記」と「日本書紀」は何だったのか!

 日本には国のはじまりを巡る歴史書「古事記」と「日本書紀」が残されています。
 これらは、縄文時代の集落単位で纏まっていただけの時代から稲作を根拠としながら、勢力を持ち始めた集団が『国』という建付けを模索し始めた記録です。
 実は、稲作が伝わった紀元前6世紀頃には、中国大陸では、春秋戦国時代であり、国々が相争う時代でした。 
 日本には『国』という概念自体が存在していなかったのです。小さな集団が特に大きく戦うことなく共存していました。

日本に国に向けて動き始めた

 下図は、その頃の中国の歴史が書かれています。

中国古代歴史

 ここですでに述べたように、戦いに敗れた
  『呉』という国は紀元前5世紀(紀元前473年)には消滅
しています。

『呉の水軍』が日本にやって来た

 それ以前に中国大陸から、『呉』の勢力が中国を脱出して日本列島にやって来た可能性は非常に高いのです。
 『呉』の勢力は、当然、国と言う制度を前提としていた訳です。
 また、
  『呉』は、『呉の水軍』として超有名ですから、造船技術や航海術に長じていました。
 その頃に、日本には稲作文化が伝わっていたのです。
 『呉』の水軍を率いた勢力は日本に渡来した後に、国の樹立を目指して九州から東に向けて船団を整備しながら進んでいきました。
 造船技術に長けていた『呉』(水軍)の技術が船団の整備を進めたのです。
 次稿で詳述しますが、その頃に一致するのが、
  神武東征
なのです。
 瀬戸内海を東進した神武船団です。
 瀬戸内海には、造船で有名な『呉市』や造船会社も多く、その頃からの造船技術を伝えているのでしょう。
 強かった『呉の水軍』の末裔は、『村上水軍』のような瀬戸内海の水軍として名を残しています。

村上水軍

古事記と日本書紀

 では、日本の記録と言う意味ではどうでしょう。
「古事記」はまさに、古い事績の記録ということになります。
「日本書紀」は、日本という国の始まり(紀)を正史として記述したものです。
 これらが成り立った時に、編纂者は、なにも空想や作り話を集めた訳ではありません
 貴重な歴史書であるこれらを冷静に論理的に読めば、完全に正確ではないにせよ、日本の建国に至る過程を知ることが出来る。
 これこそが編纂者たちの本当の狙いだったのでしょう。
 正史「日本書紀」は、古い事績も参照して、記事には
  『一書曰…』(一書に曰く)
として、
 「古事記」の記録を参考にしながら、これは
   伝承であることを明記
しています。
 そこま日本書紀書紀」を正史として編纂するために建付けを大切にしています。
 正史と、古い事績の記録、という組み合わせで明確に二つの文書の位置づけをはっきりさせていることは非常に重要な意味を持っています。
 このような形式は世界中で見られることですから、特に日本だけ特殊だとは言えないでしょう。
 もちろん、『日本』と言う国を愛する意味で大切に考えることは貴重ですが、思い入れと歴史観を混同しては史実が見えなくなってしまう可能性もあります。

日本という国の始まりが見えてきた‼

呉の水軍が日本で動き始めた…神武東征が・・



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