見出し画像

物部氏(布留氏)は、鍛冶技術を吉備から出雲、淡路そして大和へ伝えた…今に残る石上神社、石上神宮

 布留氏は製鉄・鍛冶技術を中国地方吉備に伝えた。「日本書紀」には、 韓鋤(からきび)と記されている。
 実は、八岐大蛇を退治した剣が、吉備赤磐市にある石上神社から、大和・石上神宮にもたらされている。これで八岐大蛇の尾を切った際に出てきたのが、『草薙剣』である。これは熱田神宮に奉納されている。
 吉備と言えば備前長船など日本刀でも有名である。
 この韓鋤は、出雲にタタラ製鉄を伝えると同時に、淡路島舟木遺跡にある冶金工房を設け、主に鉄製品を製作して河内、大和方面に出荷していた。この舟木遺跡にも、石上神社が遺されている。
 この三つの石上××に気付くと、
  大和:石上神宮
  赤磐:石上神社
  舟木:石上神社
これらの違いに気づかれたでしょうか?
 大和だけ、神宮で残り二つは神社なのです。
 この違いは何でしょうか?
   宮:住む所
   社:やしろ、ほこら
という意味ですので、大和石上神宮は、物部氏(布留氏)が居る場所であった(布留社)。
 のこりは、やしろ(祠)があるだけで、物部氏(布留氏)を祀っているわけです。
 この三つの石上は、全て岩石信仰の跡が遺されています。この岩石信仰は古い形で日本に遺されています。
 赤磐市は、文字通り『赤い』=鉄分が多い、磐(座)なのです。巨石信仰も遺されています。

赤磐市巨石遺跡

 舟木遺跡には、下写真(淡路市教育委員会資料)のような工房跡が多く残されています。農業遺跡は少なく、主として鍛冶製造が行われていたようです。

舟木遺跡鍛冶工房

 以上からお分かりのように、物部氏(布留氏)は、古代の原始信仰を持って日本にやって来た技術者(鍛冶、鉄製品)集団だったのです。
 これで大和・石上神宮が武器庫と言われた理由が分かります。
 他にも兵庫県にも武庫(川)や兵(器)庫の名前が遺されています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?