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『失われたイスラエル部族』が建国した朝鮮半島国家「新羅」…驚愕の事実ーその1ー

新羅国王が戴くイスラエル受難の象徴

 タイトル上の、左は『新羅』国王王冠、右が『メノーラ』と『イスラエル』の国章。
 王冠の中央は、まさにメノーラ(燭台)を象徴するデザインです。
王冠は新羅の首都慶州の金冠塚古墳出土(「ローマ文化王国 新羅」由水常雄著より)。
 メノーラとは、7枝(厳密には中央の1本は枝ではないので6枝)の燭台(ローソク台)である。『出エジプト記』第25章32節にはっきり「6本の枝」と記述あり(以後の記述で「火皿は7つ」ともあるので中央は枝扱いでない)。
 出エジプト記37章17~24節、40章3, 4, 24節、および民数記8章1~4節にも記述されるメノーラである。メノーラとは、「燭台」と訳される。

失われたイスラエル部族

 ソロモン王が死去した後、国家は南北に分裂し、イスラエル12部族のうち、ユダ族とベニヤミン族の2部族からなる南ユダ王国と、残りの10部族から構成される北イスラエル王国となった。イスラエルの民は中東を経由してアジア大陸各地に離散し、その民は歴史から途絶えてしまいます。イスラエルの歴史家ヨセフスは1世紀「ユダヤ古代誌」にて「残りの10部族は現在までユウフラテス川向こうの地におり、その数は無数で確定できない」と記しています。アジア大陸の東方へと消え去った後、離散したイスラエル10部族の行方がわからなくなったのです。これが「イスラエルの失われた10部族」なのです。

新羅

 新羅(しらぎ/しんら、シルラ、BC57-935年)は、古代の朝鮮半島南東部にあった国家(当初は「斯蘆」(しろ、サロ)で、後503年に「新羅」を正式な国号とした)。
 ちょうど、1世紀「古代史」にある通り、イスラエルの民が、アジア大陸東方で建国した国こそ『新羅』だったのです。
 新羅国王の『金の王冠』こそが、エルサレムの受難を象徴していたのです。
 以上が、朝鮮半島に到達したイスラエルの民が『新羅』を建国した疑いようのない史実なのです。
 この『新羅』は、日本の古代史へ大きな影響をあたえることになります。
 日本とユダヤの関係が取りざたされて長い時間が経過していますが、ここまで明確な証拠を以って語られたことはありません。
 

次項では、さらに驚愕の事実(日本と新羅)をお伝えします。




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