石上神宮国宝・七支刀の謎を解く…『日本書紀』は、実に正確だった!年号は、『嘉平四年』と読む。
現在、NHK Eテレで『謎の国宝 七支刀』(NHK特集 再放送)が放映されている。
この国宝『七支刀』には、金象嵌の文字が刻まれており、その解読では議論を呼んでいる。
しかし、実は『日本書紀』には、七支刀と思われる記述が以下のようにある。神功皇后(摂政五十二年)の項であり、赤破線枠が『七支刀』と思われる記述である。
これは百済王から久氏らが千熊長彦に従って来朝し献上した記録である。
さて、神功皇后(摂政五十二年)と言えば、『西暦二五二(252)年』である。
では、これまで日本歴史界で読み解かれた下の写真下部にある年号文字は、『泰和四年』(西暦369年)とするのが福山敏夫氏含め、大方であるとされている。
この『泰和四年』(369年)と読むためには、いくつかの考察を経ていて仮定もある。
しかし、『日本書紀』の記述をそのまま読めば、『西暦252年』であり、これを中国の年号に当てはめれば、
★★『嘉平四年』(252年)
となる。
明確に読める『□□四年』とも一致し、矛盾はどこにもない。
先の『泰和四年』と読むためには、『日本書紀』の年号表記は、正しい年号に変換せねばならない…というテクニックを用いて、いかにも研究者らしく捻(ひね)っているが、何もこのような手法など用いる必要も無い。
これが『日本歴史界の浅知恵』の象徴である。
まず、『日本書紀』自体を疑ってかかるという前提に立つからこうなる。
このような状況はすでに数冊の拙著で取り上げており、歴史研究者達による歴史愛好家へのミスリードは酷いものである。
なぜこの読み『泰和四年』が訂正されること無く現在まで生き続けて来たのか?
理由は簡単である。
NHKの放映で見られるように、最初の文字を『泰』と読み、その後は、すべての研究者がこの『泰』を前提として出発しているからである。
筆者が、放映内容や他の写真を見ても、必ずしも最初の文字が『泰』と明確に読めるとは考えられないと考えている。
原点に返らなければ、真実に到達できない場合もあることを肝に銘じる必要があるだろう。
ちなみに筆者がこれまで謎とされてきた、法隆寺百済観音像について出自を年号の読み解きから明らかにした内容が、7月10日に公開されるyoutubeで
ご覧いただけます。興味ある方は、下のURLからご覧下さい。
どうせならTV - YouTube
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