思い出になる前に
午前零時が近づくたびに、私はいつもため息をつく。あわてて何かしようとするが、何もできた試しはない。ただ流されるように日を跨いで、そうしてまたひとつ思い出が増えるだけだ。
今と思い出との境目はひどく曖昧で、群青色の日暮れ時。みたい。よいかわるいかにかかわらず、私はそのめまぐるしさにクラクラする。果たして人は思い出の前にさえ酩酊をするものらしい。
たった今が少しずつ夜に溶け出して、思い出に変わりゆく瞬間を見届けようとしても、思い出そうとしたときにはすでに思い出だし、思い出そうともしないうちはまだ歩みを止めていない。今が今でなくなったとき、立ち止まったその足先からあっというまに硬化してゆくのだろう。時に氷結させられるのだ。
淋しくなるたびいつもポケットをガサゴソさぐり、くしゃくしゃになった思い出をなんとかテーブルの上にひろげ、その甘やかさに私は凭れる。決して何も癒してはくれない虚空の刷毛で、金メッキのごとく十年越しの夕日を塗りたくり、健康になった気分でいる。
海にいきたい。そう思ったときに私の前に海はない。あるいは消えてしまいたい。そう思ったときにはやはり、私の中に勇気はない。
どうせ明日も生きるなら、いっそ駆け抜けてしまおうか。ため息か、息切れか、わからなくなるくらいに。
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