グッド・バイ
平成最後の夏、私は何を想うのだろう。夏を愛し、夏にすべてを捧げ、夏と共に生きてきた私が、一体。私は昭和の夏を知らない。だから私にとっての夏は、平成の夏がすべてということになる。
あの頃、私は小学生だった。朝はいつもラジオ体操から始まった。私の部屋の窓からは公園が見える。みんなが集まる公園だ。少し早く集まってはしゃぎ回る低学年の男子。虫取り網を持って木を揺らす者もいる。
時間が近づくと、三か所ある公園の入り口から、ぞろぞろと人が集まってきて……その中にパジャマ姿のあの娘もいて。
それはおそらく平成のはじまりの、どこかの夏の朝の話。
ラジオ体操がおわると、いつも私の家の前にある花壇に腰かけて、友達と話をした。ゆうべのゲームの進み具合、宿題の相談、時には恋の話なんかも。白い霧につつまれていたような朝の気配が立ち退いて、やがて日照りの午後を思わせる太陽。
網戸にした玄関の向こうから、ご飯ができたと呼ぶ母の声。じゃあ一時間後に、と約束して、友達と別れる。
そんな一日が確かにあった。あったはずなのに。
どんなに暑くても外にいる方が楽しくて、石畳に寝そべって雲の行方を探したり、腕にのぼる蟻の数を数えたり、何もなくても私たちはいつも一緒にいて、それが当たり前で。
私には好きな娘がいた。みんなで遊んでいても視線はいつも彼女を盗み見て、ふたりきりになると途端に喉がつっかえて。お前、あの娘のこと好きなんだろ、と囃されたら、まさか、と気取ってみたりして。けれども夜は一枚だけ持っている彼女の写真を何度も眺めまわしたりして。
恋のやり方なんて判らなかった。たとえば彼女も私のことを好きだったとして、それでどうなるのだろう?成就した恋の行方が見当もつかなかったのだ。
私の夏はいつだって孤独だった。隣に誰かがいてもあの娘のことを考えていたし、当のあの娘は私のことなんてちっとも考えていなかっただろうし。
行きつ戻りつしながら季節は何度も繰り返されて、身長も伸び、声も枯れ、私も酒を覚えた。そのころにはもう、思い出だけが友達で、恋人だった。夢のソーダ割りで酔いつづけて、季節のはざまに落っこちた。
夏が来ればいいと願うくせに、夏が来たら何もせずに怯え隠れて、私は夏と向き合えなくなってしまった。だって夏は、うるんだ瞳のまばゆい少女みたいだから。
私のすべてだった夏が、もうすぐ終わる。そして、もう二度と現れない。最後に線香花火でもして、弔ってあげようか。ありがとう。好きでした。これからも、たぶん、ずっと。
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