春日傘~ショートショート③蛍傘
①蛍の季節
気温の高い湿気が満ちた六月
雨の気配を漂わせるそんな夜には
観光地に隣接したこの川沿いの道にも蛍が舞う
桜並木は葉桜を鮮やかに咲かせて
緑の並木道にはそろそろと
梅雨の季節がやってくる
日が暮れて夜になる頃には
木の葉のかげに黄緑の妖精たちが
チラチラと見え隠れする。
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鮮やかな葉桜の緑色に対して
日暮れ前の低気圧に被われた空は
重い日中の出来事を重ね着したような灰色だ。
そんな色味の対比を感じるひとときが何故か『喫茶さくら』の店主は好きだった。
お客もまばらになり夕闇の蛍が舞い始める時間には店の表に立って緑の濃い葉桜を眺めながら背伸びをしたり、行き交う人々や勤め帰りのスーツ姿の男女、去ってゆくクルマの後ろ姿を見ては物思いにふけるのだった。
『いつまでやれるかのー』60歳手前で体力が大幅に落ちた。それにともない気力もあまり無い。膝が痛くて立ち仕事は少々きつくなってきた。
近頃はSNSなどで拡散されて一見さんも来店するようになった。
Gなんちゃらマップを検索すれば店内にも入れる時代だ。桜並木がよく見える特等席のような店だと、、星が4つ。たしかにありがたいことだが
noteというSNSではこの辺りのことを詩にしたり写真をアップしたりする人もいるときく。不思議な現象だが。
ただ昔馴染みの常連客からは、やはり不評なのだ。忙しくなってコーヒーの味が落ちたとまでいわれることも度々ある
観光客と地元住人との不協和音はどうしようもなく、ゴミ放置問題、生活道路の渋滞問題、観光客の通行マナーの悪さ、夜の騒音問題まで実に多種多様な課題を地域に突きつけている。古民家をのぞいたり無断で花壇の花を採ったりと治安の面からも不安がある。自覚の無い行為、、
地域の理解もある程度あって然ることながら、それに甘えた旅行客による観光公害という社会的問題にもつながっているのだ。
そんな中で常に無力感を店主は感じている。『ただ、一枚の葉っぱにさえなれない、、何と無力』『そんな詩があったの』
『みんな一緒に仲良くは』『できない相談だの』『明日は雨傘がいるかのう』
ひとりごちているうちに、夜はブルーブラックのシャッターを静かにおろして、そのうちに川面では蛍が数匹遊びはじめたらしい。『雨の妖精とは蛍のことかな』『何とも可愛いのー』目尻にシワを集めて老眼を細めた。目に焼きつけるような視線を蛍たちに注いだ。フーカスグリーンのようにも見える淡い黄緑色の光が、テンポよく点滅している。生命の鼓動だ、と店主には思えた。
街灯は観光客に配慮して少し暗くしてある。週末になると川下の南側のバス停には蛍目当ての観光バスが押し寄せる。近くの夢見温泉の宿泊客用に地元の旅行社が手配するものだが。
薄暗い川沿いのこの道を蛍目当てに観光客が行き交うことが、地元住人はともかく、店主には少し嬉しく誇らしく思ったりもした。
『にぎやかなことはいいこと』
『この光景が誰かの何かに、なればいいのぉ』と店主は思う。『皆関心があるからここにも蛍を見にきてくれる』その思いを誰に云うともなく呟くのだった。
『無関心がいちばんつらいこと』
②蛍を見て詠める
蛍傘
思いの丈を
畳んだら
翔びに翔び交う
雨上がりかな
『ほほう』『一句できたぞ!』『妖精の単語を』『いれた方がいいのかの』『上出来じゃ』
…蛍が出ますように!小雨が止んで傘を畳んだら、待ちわびた蛍の群れが一斉に川面で乱舞する。雨上がりの妖精のようだ!皆が孤独ではない。
色味のあるところには必ず希望がある。蛍はつがいをもとめて生命の限り光を放つ。そんな光景を詠んだつもりだ。
『人もきっと、そうにちがいない』
店主は蛍のシーズンに限り夜10時まで営業する事で『誰かの何かに』なりたいと思ってもいた。
観光客も旅先で世話になる自覚を持って、それに応えて地域の住人も最高の歓迎をする。良い思い出ができるように。この思いを皆が共有するなら観光公害も少しはなくなるような気がした。それ以上に、希薄化した人と人との関わりが思いやりに満ちたものになれば、さらに誰かの何かになれれば、様々な社会不安から人々を守れることにもつながる筈だ、と思ってもいた。
『悲しいニュースばかりだの』店主は
ぽつりと独り言の石つぶてを川面に
投げ入れていた。
驚いた蛍がまたひとり翔び立つ。川の流れは静かにさらさらと、さらさらと、中原中也の詩『ひとつのメルヘン』はあるいはこのような光景だったかも、と店主は思う。幻想的な黄緑色の光が弧を描く『今年は早いお出ましだなぁ、、蛍くん』『蛍は妖精になるのか?妖精が蛍になるのか?』
傘はかささぎになる、と言ったことを思い出した。よくも出任せなことを、、と少し苦笑いして『そういえばあのお嬢さんは』『蛍を見に来ればいいがの』『印象的な出会いだったが』自分の娘と同じくらいの歳だったか?だとしたらもう40代半ばにはなるのかと、もの思いにふけっていた。『小腹が空いたのう』
③たい焼きの味
近くの商店街にある老舗たい焼き屋の、あんことクリーム、両方入ったたい焼きが大好物の店主は夕食代わりにそれを一口食べると、そんなことを思い出した。『いろり庵のたい焼きは』『女手ひとつでがんばって焼いておる、沁みる味だ』『桜の咲くころ町内会の会合で見知ったが』有名なたい焼き店主、先代の桜野ふじえさんはご近所のようだった。
それにしても、傘の行方が気になるのだったが
④絵美子の旅行
『6月の第三土曜日に、』『蛍の夕べ』イベントがあることを絵美子はネット検索で発見した。職場で休憩している時のことだ。
絵美子はそのイベントが、あのなつかしい川沿いの古い街で行われることを知ってすぐに旅行の計画をたてることにした。今度は近くの温泉旅館に一泊する、と決めてからは楽しくてワクワクするのだった。今朝の勇志とのLINEは頭からすっかり消えていた。
『久しぶりのひとり女子旅かー』
『人生楽しまないとね』
と宿に予約の為の電話をかけた。
今はその手の旅行サイトからネット予約すればいくらでも安く泊まることができるのだが、あえてそうしなかった。物事には適正価格があること、
直接電話で話して人と人の繋がりを感じてみたくて、そうしてみた。
料理の好みもきいてくれて旅館側も直のお客を大切にしているように思えたので、さらに絵美子は幸せな気持ちになった。『来週末が待ち遠しいわ』『海老三昧フルコース、楽しみ!』
地域コミュニティの団体職員として働く絵美子は同時進行する仕事を要領よくさばいて、六月の第三土曜日から三連休をとることにした。マルチタスク能力をフルに発揮した。
『帰ったら泊まりの準備、下調べしよう!』すべての業務を終えてハンコを押して必要書類を役所に提出する手筈を整え、絵美子の1日は終わった。
翌日も絵美子は午前中に溜まった仕事をほぼ片付けて昼前にはくたびれはてていた。
『お昼行こ!』と事務所を飛び出して
気分は旅先へと翔んでいた。
『いらっしゃいませ!』『あ、えびちゃん』久しぶりの再会はファミレスだ。絵美子は高専の同窓生がパート勤めするファミレスで金曜日の昼休みを過ごすことにした。昨夜は帰宅後にネット検索で予約した宿の行き方や行程を調べていて、朝は寝過ごしてしまった。またしても遅刻ギリギリで出勤して気持ちが下がり、せめて昼休みにリフレッシュしたくて輝子の顔を見ようと思ったのだ。
『明日から蛍を見に旅行に行くのよ』
『へー、新しい彼でもできたの?』
『そうじゃなくて』『勇志さんは?』『あの人はムリよ、蛍とか興味ないし、』『中年友達の腐れ縁』『そうかぁ』『ひとり女子旅です♪』『いやいや、女子ですかぁ』『女子ですよ笑』
ランチを手早く食べて、少し雑談したら絵美子の気は晴れていた。学生時代のように『えびちゃん!』えびと呼ぶ声が変わらず嬉しかった。
『明日は土曜日、早起きしよう!』と呟きながら絵美子は職場に戻った。
⑤旅行の当日
明くる日の土曜日、旅行当日は薄曇りの朝となった。久しぶりに羽を延ばそう、と絵美子は朝から上機嫌ではあったが駅までの足どりは重く、血圧と気圧は連動しているように思えた。『やはり更年期かなぁ、女子だからね』と不安感を独り言で打ち消して私鉄電車、新幹線と乗り継いだ。
駅前ターミナル発の路線バスに乗り川下南側のバス停で下車、ようやく桜並木の街へたどり着いた。昼を少しまわって絵美子は食事場所をさがすことにした。
『どこか食事場所は、、』大通りを少し西に向かうと商店街にさしかかる。アーケードのレトロな雰囲気に魅力されて、絵美子は立ち止まった。
『何だか懐かしい感じ』『!』
いろり庵、、あぁ、たい焼きで有名な!
『観光ガイドマップにも載ってたわね』そうひとりごちながらたい焼きを食べてみたくなった。
『たい焼きをひとつ、と抹茶をお願いします。』
いらっしゃいませ!と若い女性が応対した。『あんこでお願いします。』
『ありがとうございます、焼き上がるまでしばらくお待ち下さいね』『あんこちゃんが喜んでるみたい、クリーム君はまた今度だね』と店員さんは呟きながら、笑顔と馴れた手つきで生地を金型に流し込む。
芸術的なスムーズさに絵美子は見とれた。一朝一夕に身に着く技ではない。生地の焼ける甘い香りが目の前を撫でていく。『わあっ美味しそう!』と思わず大きな声がマスク越しに出る。少々恥ずかしくなって青いハンカチで額の汗を拭った。
『勇志を連れてきちゃったか、、』
紫陽花モチーフの青いハンカチは勇志が副操縦士としてチェックアウトした頃にプレゼントしてくれたものだった。無意識にショルダーポーチに入ってたのだが
まあいい、拭ければいいの。と絵美子は焼き立てのたい焼きを受け取った。
『お昼はこのたい焼きとお茶でいいか』『今夜は海老三昧!だよねぇ』『さて、どこかで座って食べようかな』
絵美子は商店街の空き地をりようしたポケットパークを見つけて、ベンチに座って食べることにした。人通りからは死角になるし日陰でちょうどいい、
ひとくち食べると幸せいっぱいの味がした。悩み多い日常からの飛翔である。『きっと作ってくれたお姉さんのお人柄も』『味にでるのよね』『美味しい』『今夜の蒸しエビ料理もきっと美味しいはず』誰にいうともなく絵美子は満足げにたい焼きをペロリと平らげた。
たい焼きで血糖値を上げたあと、東西に1km程の商店街を絵美子は散策していたが、午後3時をまわって温泉宿に一旦チェックインする事にした。
⑥白樹屋(はくじゅや)にて
商店街の端のタクシー乗り場では一台分の駐車スペースで暇をもて余したドライバーさんがこちらをチラと見た。『夢見温泉の白樹屋(はくじゅや)までお願いします』『白樹屋、ねぇ。(近いねぇ)はい、、』それきり無言の車内ではAMラジオがローカルなおしゃべりを続けている。
車窓からは古くて寂しい街の風景が流れていく。人もまばらに、曇り空の夕暮れは暗くなりつつある。タクシーを降りたら、宿は意外にも街のまん中にあった。大通りの両脇に旅館が建ち並んでいて、温泉街のイメージではなかったがアルカリ単純泉の泉質がとてもよくてph7~9の美肌効果の湯が評判だった。
『いらっしゃいませ!』『お世話になります』『お待ちいたしておりました』絵美子は宿帳にサインをする。緊張感が高まる。案内してくれる仲居さんは宿の説明、非常口の確認、夕食の時間などテキパキと接客してくれた。部屋に通されると用意していた心付けを仲居さんに渡す。
恐縮して遠慮しながらも気持ちよく納めてくれたので、絵美子は安心した。その道のプロへのリスペクトだと思うのだ。『さて、お風呂を頂きますか、、でも夜は蛍を探しに行きたいので、髪を濡らすのはねぇ、、』とひとり洗面台の鏡に向かって呟いていた。『勇志にLINEしてみようかな』
ピコッと通知がくる。勇志は画面を見て絵美子のメッセージに返信する。『温泉にいるの』
『そうか、ゆっくりのんびりと楽しんでね』
『女子ひとり旅だよ蛍見るんだ』
『それはいいことだ』
『今から来てもいいよ』
『ムリ何いってんだ』
『あの川沿いの』『桜並木の』
『あの街かー』
『クルマで迎えに来てもいいよ笑』
『アッシーかよ』
『今の若い人には分かんないよね』『そうだな笑』
『おれクルマ替えた』
『白いベンツやめたの?』『キャプテン引退したから安全性よりも経済性』
『初めての軽四だ。青のPEUGEOTからは5台目』
『軽で充分じゃない』
『なのでお迎えはしんどい』
『冗談だよ』
『おれはいつでも本気だよ』…『、、』
そこで絵美子は既読スルーで終わらせて、やはり先に大浴場に行くことにした。
ドキドキしたのだ。この動悸を洗い流したくなった。自分がとても酷い女に思えてイヤだった、、勇志に見透かされたようで
紫陽花模様の青いハンカチをゴミ箱に捨てて、浴衣に着替えた。『何いってんだろう、私』
~つづく~
春日傘は梅雨入り前に蛍傘になり、湿った空気が黄緑の妖精を連れてきたが
絵美子と勇志の関係は?蛍が舞うあの川沿いの街に奇跡が起きる。