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「一杯のコーヒー」

朝のカフェは賑やかだった。平日の朝だというのに、カウンター席もテーブル席もほとんど埋まっている。篠原はいつもの窓際の席に腰を落ち着け、注文したコーヒーが届くのを待っていた。

「失礼します、コーヒーです」

ふわりと漂う深い香り。篠原は手を伸ばし、カップをそっと持ち上げる。その小さな儀式が、彼の一日の始まりだった。

だが、この日の篠原は、少し違っていた。昨日までの彼にはなかった小さな決心が心の中で芽生えていたからだ。長年働いた会社を辞め、独立しようという決意だ。

「どうしてそんなに急に?」と周囲は驚いた。篠原も確かに、自分の決断に戸惑っていないわけではなかった。けれども、心の奥底に、ずっと抑え込んできた小さな夢があった。独自の事業を持ち、もっと自由に生きることだ。

「果たしてやっていけるのか…」

コーヒーを飲みながら、篠原は何度も自問自答した。もし失敗したら?うまくいかなかったら?彼の心は迷いと不安で満たされていた。

ふと、隣の席に座る老夫婦の声が聞こえてきた。

「覚えてる?初めてここに来たとき、二人とも若かったわね」

「もちろんさ。あの頃は、未来がどうなるかなんて考えてなかったよ」

老夫婦は、お互いに笑顔を交わしている。篠原はその光景を見て、心が少し軽くなるのを感じた。「未来なんてわからない。でも、何もしないよりは、一歩踏み出してみる価値があるかもしれない」

篠原はカップを口に運び、深く息を吸い込んだ。苦味と酸味が口いっぱいに広がり、不思議と勇気が湧いてきた。どんな結果になるかは分からないけれど、この一杯のコーヒーが彼の新しいスタートを後押ししてくれた気がした。

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