飽き性はどう生きるべきか
アスリートみたいな生き方に憧れる。
ゴールを立てて、ゴールから逆算した小さな目標を立てて、毎日やるべきことを淡々とクリアする。
ストイックな生き方だ。
本当にかっこいいと思う。
それに比べて僕は、ゴールを持つのが苦手だ。
いや、ゴールを持ちたくないと思っている。
と言うのも僕は飽き性すぎる。
何かをやりたいと思った時は、ワクワクが止まらないのに、気がつけば熱量が下がっている。
だから、何か一つのゴールに向かって生きることが向いてない。
いろいろやりたいことが浮かぶアイディアマンなのかもしれないが、熱量が続かない根性なしとも言える。
そんな自分にいつも嫌気がさすのだが、そろそろ30歳にもなるので、もう受け入れようと思ったので、今回書き残してみることにした。
人は変わらない。そう、変わらない。変えようと思っても変わらないところがある。
変わらない部分を劣ってると思ってしまうけど、最近はただの「差分」と捉えている。
よそはよそ、うちはうちだ。
だったら、もう、どんどんワクワクすることを見つけてチャレンジする人生にしたらいいのではと客観的に自分を見て思う。
稼ぎ方をいくつも持っていれば、仕事には困らないだろう。
よく言われることだけど、諦めるの語源は明らむ。
変えられないことが明らかならば、喜んで捨ててしまおう。
ゴールに向かって生きるアスリート的な生き方は諦める。
それよりも、どんどん楽しいと思えるものを見つけて没頭する。
楽しければ続けたらいいし、飽きたなら捨てたらいい。
それでも生きていくことはできるだろう。
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2024年も残り2ヶ月。
気になったものには、どんどん飛びこんでみようと思う。