コロナ患者、愛のポエム、幽霊。
2年も一緒に過ごすと、その存在は僕の中であまりにも多くのスペースを占拠するようになってしまった。もしそれを失ってしまったら、ぽっかりと空いた穴を、どうやって埋め立てれば良いのだろう。その穴に元々収まっていたのは、きっと愛だの思い出だのきらきらしたものばかりではない。怒りや憎しみ、苦悩だってたんまり含まれている。だからこそタチが悪い。愛だけなら簡単に立て替えられるだろうが、特別な負の感情はそうはいかない。カジュアルな恋なら、すぐにインスタントな愛へ到達できる。故にその過程には苦しみが存在しない。苦しみや怒りを覚えるのは、思い通りにいかない真剣な恋だからであり、そうやって行き着く愛の形も厚みを増していく。なんて深い穴なんだろう。まあ、一度スカスカになった僕にはそんなことを考える気力すら残ってないはずだ。
これが僕の抱える恐怖だ。2年ちょっとの年月をかけて、良くも悪くも僕の一部と化したその存在は、もはや僕の抱えるリスクの一つとまで感じてしまう。裸の札束をもって、一人でファベーラを歩く気分だ。失えば僕は終わり、失わずとも怯えながら生きなければならない。
君の心の中で、僕はどれほどの面積を有しているのだろうか。圧迫していなければ嬉しいと思う反面、僕と同じ悩みに苦しめばいいとも感じる。
ふと思う。僕が明日車に轢かれて死んだら、彼女はどんな顔をするだろうか。泣くだろうか。10年後、僕が病気で死んだら、どんな顔をするだろうか。その時はもう関係は解消されているのかな。だとしたら、泣かないのかもしれない。
僕は、事故だろうが病気だろうが老衰だろうが、愛する人の死に目をみたいとは思わない。望むならそばにいてあげたいが、好きな人がこの世界から消える瞬間に、僕は耐えることができないだろう。代わりに、僕の訃報を愛する人が聞いた時、その顔を見たい。一方的に死顔を見られるなんてアンフェアだし、なによりその表情に、嘘のない今までの全てが映し出されるはずだ。死によって二人が完全に終わったのちに、何も取り繕う必要はないのだから。
死後の世界を願う。
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