父、亀仙人、JackNicolson
私の父は仕事柄、年に2回ほど海外へ出張していた。あるとき、父がベトナム土産に亀仙人の大きなフィギュアを買ってきた。
当時小学2年生くらいだった私は、半べそで父にキレたのを覚えている。
なんで亀仙人なんだよ。そこは悟空か、せめてベジータだろ。というふうに。
小学生2年生にベトナムのフォーや民族織物みたいなのをお土産に買っても喜ばないだろうから、とにかくベトナムで買えるもので息子を喜ばせようとしたその不器用さ、今思えば可愛らしい。
とにかく、当時の私にとってその亀仙人は意味不明だったので、おもちゃ箱の奥にしまっていた。
中学生になり、ふと奴のことを思い出し、わざわざ30分くらい部屋の中を探して、本棚の目立つ位置に立たせた。急に愛着が湧いたのだ。当時の父を理解出来る歳になったからかもしれないが、もっと明確な理由を自覚していた。
亀仙人はマイノリティなのだ。漠然とクールなのである。スーパーサイヤ人が飾られた部屋よりも、亀仙人が飾られた部屋の方がなんとなくイケてる。
そんな反トレンド的な感性が私の中で生まれ始めたからだ。
人と同じことをつまらないと感じてしまう、もしくはそう感じる自分が好きなのだ。端的に言えばひねくれている。だからと言って自分が特別だとは思わない。
そういったマイノリティである自覚が、私の薄っぺらいアイデンティティの構築に手を貸している。
社会への抵抗、同調への反発、ロックンロール。
私はある分野で創作をしているが、この性が悪さをしている。良いものが出来て、周りが評価してくれても、もやもやする。亀仙人でありたい。悟空のような輝きはいらないから、マイノリティの中で鈍く光っていたい。
”僕はどんどんと年をとっていく訳で
作るものはどんどんと色褪せる”
”君がその先大人になっても
悪い大人の手本でいたいんだ”
私の好きな詞だ。
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