夢の中で本気で恋をした話

僕は夢の中で「WirelessGirls」という日系トルコ人4姉妹からなるガールズバンドの、三女(中学2年生)に本気で恋をした。僕自身まだ学生なので中学2年生という点はギリセーフだと思いたい。

出会いは高速バスの中だ。彼女らが生まれである神戸へ帰省中に乗り込んだバスに僕も乗り合わせており、たまたま僕の隣に彼女が座った。一目惚れした僕は、彼女に話しかけずにはいられず、気がつくと意気投合していた。まんまるで澄んだ瞳にすらっとした高い鼻、折れそうなほどか弱い腕や透き通るような白い肌。その大人っぽい美しさにてっきり同年代だと思い込んでいた。彼女のとんでもなく天真爛漫な性格は僕を別人のように饒舌にさせ、地上最強な愛嬌によって深い恋へと落とした。
色んなことに疲れていた僕は、自分の用事を投げ出して彼女らと行動を共にすることに決めた。僕は刹那主義だ。運命的な彼女と1秒でも長くいたいと思っていた。

最初の目的地は自然公園のようなところだ。ヨーロッパ風の建築が点在しており、中心にある大きな池がシンボルのようだ。ハリーポッターに登場しそうなロケーションで、道中に倒れていた多くの木々が終末感を醸し出していた。
彼女とすっかり仲良くなった僕は、手を繋いで歩いた。彼女は英語も喋れる。アイニージューと繰り返すのが面白くて笑いながら歩いた。ほかの面々はもう先へ行ってしまっているが、そんなことに構わずゆっくり写真を撮りながら二人の時間を楽しんだ。景色と彼女の美しさが相まって、さながらハリウッド映画のオフショットだ。
目玉の池に到着すると、ゾウの赤ちゃんが泳いでいてギョッとした。もっと驚いたのは、泳いでいるように思われた人達は、みな同じ姿勢で死んだように浮かんでおり、ゾウの赤ちゃんがそれを池の奥にある小さな洞窟に引きずり込んでいた事だ。取り乱す彼女を守りながら、先に行っていた彼女の姉妹たちを探しに奥へ進むと、ちょうど引きずり込まれる最中であり、足がすくんで飛び込めない自分の無力さを痛感しながら、二人で絶望した。同じように家族を連れ去られた男性2名と、今何が起こっているのか、これからどうするのか話し合っている最中、水しぶきが派手に上がり、子ゾウが飛びかかってきた。僕を庇った彼女は水の中へと、洞窟の中へと引きずり込まれてしまった。彼女まで奪われまいと、僕は今度こそすぐに池へ飛び込み、洞窟へ向かって泳ぎ始めると、男性2名もあとをついてきてくれた。子ゾウというのは実に不気味である。不釣り合いなつぶらな目と長い鼻、異様に逞しく、ピンクとも紫ともつかない肌色をしている。洞窟の中にはヤツらが待ち構えており、パンチ(鼻であるが)をかましてくる。我々はそれをいなしながら、時には殴り返しながら奥へ進んだ。最奥で判明したことは、どうやらこれは人の仕業らしいということだ。船着場があり、そこの船の中で連れ去られた人々は眠らされていた。うさんくさいおじさんがゾウに催眠術をかけ操り、人さらいをしていたのだろう。ほどなくして警察が到着し、おじさんは捕まった。彼女らもまったくの無傷で無事であった。

次の目的地もヨーロッパ風の街並みである。そこを散歩した。彼女は自転車に乗っていて、僕が話しかけても無視するどころかスピードアップして置いてけぼりにされてしまった。こっちが全力で走って追いついても知らんぷりだ。困った僕は姉妹の長女次女と並んで歩いた。僕の異変に気づいた彼女らは気を使って相談に乗ってくれた。彼女は気分屋だということ、ちょっと疲れてるのではないかということ、でも僕と出会ってからのあんなに楽しそうな彼女はここ最近見たことがないということ。色んなことを教えて貰いながら、励ましてくれた。そこで「WirelessGirls」についても教えてくれた。そこそこの知名度と人気を持つ中堅バンドといった感じらしい。曲調はニューウェイヴに聴こえる。とても耳に馴染み、かっこよかった。こんな音楽をあの彼女がしてるなんて、ますます魅力的に感じられた。

最後の目的地はすすき畑のようだ。真っ白なふわふわの絨毯が光を浴びて揺れている。ここを去った後にはさすがに家に帰らなければまずい。あまりに遠くまで来てしまった。だから、彼女と過ごす最後の時間だと覚悟し、ここで絶対にモヤモヤとした現状を打破する必要があった。とりあえず風景を写真に残そうとシャッターを切り、ギャラリーを確認すると、撮った覚えのない写真が数枚あった。すすきの中で僕と彼女が並んで立ち、笑っているかどうか微妙な表情でこちらを見つめている写真だ。同じようなものが数枚あったが、どれもなんとも言えないアンニュイな表情をしている。僕はそれらを見て不思議に思うより先に、これらはこのあと撮られる写真だと確信した。そして二人で写真に映ることができる安心を感じると同時に、表情の曇りに不安を感じた。この写真がゴールだとすれば、そこまでがどのような道程になるのか、彼女に聞いて確かめなければならない。意を決した僕は「どうしてそんなにそっけないの?」と聞いた。すると「うん、あのね、その、」と口篭り、その先が唇から零れる寸前に僕は夢から覚めてしまった。

そうして、僕と彼女はあまりにも唐突に終わった。いきなりコンセントを抜かれてしまったかのようで、何も残らなかった。
2人が終わってしまっても形に残すために撮った写真だって全て消えてしまった。バスの中で撮ったはち切れるような笑顔の2ショットや、公園で撮った女優ばりのポートレート、最後まで理由がわからなかった虚ろな二人の写真。
たしかに存在したはずなのに、彼女を確かめるすべがなくなってしまった。この文章を書いてる途中にも、もうその姿はだんだんと失い始めている。彼女の名前も忘れてしまったから、ここに記すことすらできない。僕は本気で彼女のことが好きだったのに、彼女のことを知っているのは世界で僕一人しかいないのに。これでは死別よりも残酷である。
夢の中での彼女とのエピソードは、全て脈絡がない。起承転結もなければ伏線もないし、全てが瞬間で完結しているようだ。だってゾウに連れ去られて死にかけたのに、数分後にはのんきに自転車に乗っているのだから。
しかし、恋というものは時間に対して垂直に存在しているという。始まった瞬間に終わっていて、その「一瞬」が永遠を孕んでいる。彼女と過ごした全フレームの全永遠を確かに僕は経験した。まばたきをするほんの数秒も、気が遠くなる無限の時間も、思い出になってしまえば同じである。大事なのはその「一瞬」を認識することができたかということだ。何気ない一瞬と大切な一瞬の差は、己に喰らい付いてくるかどうか。痛みが伴うかもしれないが、それに気づけることが特別であり、恋なのだ。
今僕の脳みそに噛み付いている彼女は、明日には消えてしまっているだろうから、ここにその存在をスケッチする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?