竹、ハリボー、モスコミュール。
誰にだって忘れることができない人がいるだろう。それは恋かもしれないし、ショッキングだったからかもしれないし、得体の知れない何かかもしれない。私にもそんな人がいる。
先日、ドイツの芸術大学から10名ほどの学生が来校し、共同でデザインワークショップを行った。我々は英語での拙いコミュニケーションながら、お互いのデザインを尊重し、助け合いながら作品の制作に励んだ。
夜は街へ行き、彼女らと酒を飲む。話は弾み、お互いの国の音楽を教えあったりした。MetallicaやNirvanaについて語り合ううちに、遠く離れた異国の人も、私と同じ音楽を聴いて同じことを思っていたんだと、心の底から通じ合ったような気がする。
ドイツ人と聞くだけで自分とはまったく異なる存在に感じてしまっていたのに、カルチャーやデザインに対する思いはそっくりで、俗に言う"同じ星の下生まれた人間"ということを思い知った。それが本当に嬉しくて楽しかった。
彼女らは我が校での交流の後、東京へ行くと言っていた。別れの日には、彼女が恋しいと言っていたハリボーグミをたくさん持たせ、ハグをして送り出した。
その後彼女は、私が教えたくるりの再生画面を添えて「ドイツに来ることがあれば教えてね」とDMをくれた。
私は、この別れに苦しめられている。もし彼女が日本に生まれていたら、私がドイツに生まれていたら、どんなに親しくなれただろうか。生きている限り、二度と会えないというわけではない。しかしそれが逆に、切なく苦しいのだ。彼女にもう一度会うには大量の時間と金を用意し、20時間のフライトを乗り越えなければならない。今日もどこかで音楽を聴き、デザインに勤しむあなたを頭の中で思い浮かべることしか、ほとんどできない。写真を見返すたびに、あなたの声を既に思い出せないことに気づく。玄関には共に作った作品を飾った。
私たちは出逢ってしまった。出逢ってしまったからには、抱えていくのだ。
いつか必ず会う日まで、脳に焼き付いたたったの数日を、ちらちらと覗きながら生活していこうと思う。そして遂に再会するそのときには、Do you remember me?と聞いてやる。
(たくさんの私の思い出の鮮度を保つのに、くるりの楽曲はよく働いてくれているが、彼女にくるりを教えたことで、ブロンド碧眼両膝タトゥーの女の子までくるりに背負ってもらうことになった。)
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