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【前編】大槻香奈個展「"STAY HOME"と蛹の時」 インスタライブ感想まとめ

ただ今、日本橋三越本店 本館6階 コンテンポラリーギャラリーさんにて、大槻香奈さんの個展「"STAY HOME"と蛹の時」が開催されております。

2009年の作品から最新作までを一望できるとても豪華な展示…!!生でご覧になられた方が羨ましいです😭(もうほんとコロナ…)

緊急事態宣言が出ており県外移動は控えるにこしたことはないので、会場には行けませんが、インスタライブで会場の様子を拝見したのでその感想を綴ろうと思います。(ライブのアーカイブを見ながらメモを取ったため、作品名の漢字などが違っていたら申し訳ありません)

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『ここからすべて(2020)』

↑『ここからすべて(2020)』

まず入り口に飾られているのが、2020年1月1日に完成したという作品『ここからすべて』。SMサイズと小柄ながら、太陽の光と命の息吹を感じる奥行きある作品です。

しかしながらこの作品の完成後は、世界中で新型コロナウイルスが蔓延してパンデミックが起こりました。太陽の光が燦々と降り注ぎ希望に溢れた作品は、一気にその「あかるい未来」を奪われた[かのように]見えます。

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「コロナ(notウイルス)」とはそもそも形状を表すものともいえ、太陽大気の最外層にあたり、皆既日食の時に冠状の光として見えるものでもあります。日食、つまり月に覆われてしまった状態です。

太陽と月の話が出てくると、個人的には古事記のアマテラスとツクヨミを彷彿してしまうのですが(二人ともイザナギの子で、もう一人スサノオがいます)、古事記本文にはほとんど語られないはずのツクヨミ(月)がアマテラス(太陽)を隠すというのが興味深いですね。

実際の「天岩戸の神話」では、スサノオのあまりの傍若無人ぶりに怒り、アマテラスが天岩戸に隠れてしまいます。それにより太陽の恵みを受けられない大地は作物が育たなくなったり、病気が蔓延したりします。

しかし新型コロナウイルスについていうなら、あくまでも勝手な想像ではありますが「今までほとんど触れられてこなかったツクヨミによる警鐘」を受けている状態でもあるように感じられます。

私たちは今まで効率化や低コスト化など「発展(という名目の格差拡大)」に目を取られすぎて、大切なものを見逃していたのではないでしょうか。あくまでも想像ではありますが、ツクヨミという今まで影に隠れていた夜を統べる神が、それを身をもって示したのだと考えてみると、新たな形を伴って蘇った神話のようにも思えてきます。偶然が重なり必然となったようで大変興味深く思いました。

なお、この作品は後に紹介する展示ブースとも繋がる大きな鍵の役割を持っていますので、その意味を考えながら展示を辿るとより楽しめるのではないかと思います。


『暇を描く(2020)』

↑『暇を描く(2020)』

今回の個展のメインビジュアルとなった作品です。

会期中、お客様との会話の中で「この子はどこを見ているのか」という話が出たそうです。たしかに目の前に色々なものがあるのにそれには目もくれず、どこか少しだけ遠くを見ています。かと言って目の前にいる人と対話している状態にも見えません。

大槻さんはこの絵の女の子の目線に既視感を感じ、「このコロナ禍でYouTuberが増えたから、この子の目の前にもカメラがあって、不特定多数の誰かに微笑みかけているのでは?」という答えに辿り着いたそうです。言われてみればそうかもしれません。

しかしタイトルがあくまでも『暇を描く』というところが面白いですね。恐らく配信している内容も、コンテンツとして作り込んでるというよりは「暇を描くように」なんでもないことを話しているのでしょう。

3.11後にSNSが一般化し、Facebookによってよりプライベートな内容や写真が公開されるようになり、そして今は誰でもYouTubeチャンネルで配信のできる時代。一攫千金・芸能人を目指したい、という人もいる中、ユーザーの中には普通の人も多く居ることでしょう。

時代が移り変わるにつれ「あの人今どうしてるかな?」という発想よりも「わたしはここにいるよ」というメッセージが強くなっていってるように感じるのはわたしだけでしょうか。自分を配信することが(内容の良し悪しはともかく)心の命綱。そんな世の中になっていってるように感じます。


ネオ少女ポートレートシリーズ

↑『誰でもない僕(2020)』

↑『感(2020)』

↑『散(2020)』

↑『春(2021)』

ネオ少女ポートレートシリーズも勢揃い!

大槻さん自身、コロナ前までは、少女モチーフはもう終わったものとして捉えていたそうです。なぜなら、少女は成長や成熟を探る意味合いで採用してきたモチーフだったからです。しかしこのコロナ禍になり、もう一度取り組むべき画題として自然と現れてきたようです。

コロナだからわかりやすくマスクをしていますが、マスクによって表情がより読めなくなり、現在の混沌とした状況にフィットしているように見えるのが特徴的だなと思います。

そもそも日本では花粉症患者が多いほか、すっぴんを隠すため、顔を見られたくないからなど(こちらは少し強迫神経症的な要素もありますが)、以前からマスクをする生活は当たり前のものでした。特に、女の子にとっては。

そんな、コロナに対しても自分の見た目に対してもお守りのような機能を持っていたマスク。このマスクも、いずれは「かわいい」のためのアイテムになるのかなと思ったりしました。マスクの方が盛れる、みたいな感じで。

ところで「春(2021)」には頬にアザのある女の子が描かれているのが示唆的に思います。ネオ少女ポートレートになったことで、ありのままの自分を認め・それを隠さない少女の到来を感じました。


『あたらしい音(2010)』

『あたらしい音(2010)』
引用元: http://ohtsuki.blog102.fc2.com/blog-entry-462.html

リボンが解けていく。無理にでも成長しなければならないという意味合いだそうです。少女ポートレートと関連性があるため、ネオ少女ポートレートシリーズのとなりに、少し距離を置いて配置されていました。

「離れた所から見ると日本列島っぽい形というか蛹のような形をしているのが面白い」と大槻さん談。大槻さんにとって、変化というのは「山を越える感覚」だそうで、この絵にも山が描かれています。(でも山の下からすり抜けようとするようなズルも見られるとか笑)

なぜ換気扇のプロペラが描かれているのか、という質問をよく受けたみたいです。大槻さんとしては、変化を加える&動きを加える→プロペラ といいう発想だったようです。換気扇のプロペラは自然の風でも回るし電気を入れても回るところが良いのだとか。

わたしは逆に、電動のプロペラによって世の中に否応なく巻き込まれていく感じに見えました。リボンも自ら解いたのではなく、濁流のような世の中に巻き込まれていく中で勝手に解けてしまったもののように感じられました。

しかし山を越えるとまたリボンは結ばれる時が来て、きっとその時は山を越える前とはまた違ったリボンなのだろうなと、なんとなく感じました。駄洒落になってしまって恐縮ですが、リボンはRe:BORN(再生・生まれ変わる)という意味とも捉えられられるので、リボンがある限り、少女たちはきっと何度でも生まれ変わるのだと思えるのです。


『ずっといい(2012)』

『ずっといい(2012)』
引用元:https://twitter.com/kanaohtsuki/status/1232884360694489088?s=21

ポートレートシリーズのようなリアルタッチの女の子では描ききれなかったものを描いている作品とのこと。女の子はみんなデフォルメされています。細かなモチーフがたくさん散りばめられているので是非原画で見たい作品…!!


『ゆめしか(2014)』→『ゆめしかちゃん -小さなベッド-(2015)』

『ゆめしか(2014)』
引用元:https://twitter.com/kanaohtsuki/status/1115843321610625024?s=21


『ゆめしかちゃん改 -小さなベッド-(2017)』
引用元:https://twitter.com/kanaohtsuki/status/1024991888573587457?s=21

『ゆめしか』という絵画から、お客様から「ゆめしかちゃん」と呼ばれるようになり『ベッドに入っているあたまの大きな女の子』というキャラクター性を持つようになったという、興味深い作品です。

じっくり見るとわかりますが、明らかにベッドのサイズが子ども用で、ここでゆめしかちゃんは寝転べないんですよね(笑)頭の大きくなった大人が無理矢理入っているという違和感があるはずなのに、それを感じさせないのがゆめしかちゃんであるとも言えるかもしれません。それだけファンタジー性が強いとも言えるでしょうか。

大槻さん曰く、「日本のキャラクター(サンリオなど)の多くは、頭がめちゃくちゃでかいのに、どう考えても頭が入らなさそうな家に住んでたりするのに、でもずっと見ているとその違和感が無くなってくる(意訳)」とのこと。たしかに日本のキャラクターにはそういう違和感を吹き飛ばすようなパワーがあるというか、ナンセンスなのにかわいい、みたいなところがあると思います。けろけろけろっぴなんて、眼球にはちまき巻いたりしてますしね(笑)

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上に引用した立体ゆめしかちゃんは「経年劣化版」です。初めて展示した『ゆめしかちゃん -小さなベッド-(2015)』には、頭やベッドにはなにも付いてなかったそうです。

そして2017年の再展示の際に付属品をつけたとのことです。経年劣化でカビやフジツボなどが付いたイメージだそうです。ベッドに入ったまま化石化しようとしてるというか、ベッドに取り込まれていってしまうようなおぞましい感じ。実際に、作っている最中も怖かったそうです。それをいかにおぞましくせず、可愛くするかをテーマに作り上げたのが、「経年劣化版ゆめしかちゃん」なのです。

さて、一つのツイートを見て、色々と考えることがありました。

以前の読書会ノートでも書きましたが、わたしはゆめしかちゃんを圧倒的な個、ずっといいこちゃんを群として捉えています。

そう考えた場合、恐らくずっといいこちゃんたちは、ずっとそこに留まっている存在ではなく、時の流れるままに少女を(形だけ)卒業し、就職したりパートナーを見つけたりと、流動的な存在であるとも考えることができます。一人一人が個性を持っているわけではないので、その年齢に達した少女たちが入れ替わり立ち替わりに入っては卒業し…というのを繰り返していると思われます。

そうした前提を持った場合、ゆめしかちゃんのベッドはもしかしたらずっといいこちゃんたちの墓場というか、遺品置き場のような機能も持っているように思えたのです。いつかお焚き上げをして供養してくれそうな、そんな感じでしょうか。

勝手に生えたカビやフジツボももちろん存在し、それに加えて可愛いものたちが放置されている。引用した2018年の展示写真はそれが顕著に表れているように思うのです。

ゆめしかちゃんのように少女のまま居たい。けれどそれは社会との断絶をも意味します。そこまでストイックには生きられないずっといいこちゃんたちは、自分たちが「かわいい」と思って大切にしていたものなどをゆめしかちゃんに託して旅立って行っているように見えるのです。(中にはただ廃棄してるだけの子も居るかもしれません 苦笑)

ちなみに今回の展示ではゆめしかちゃんのベッド下の青いマットは新調されており、マットアートにもなっておりますのでこちらもぜひお楽しみを◎

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まだ続きがあるのですが、長くなりすぎたので一旦ここで切り上げます💦続きは明日更新できたら良いな。現地に行かれる方はぜひ隅々までお楽しみください◎

2021年1月 / 文責:ナツメミオ

↓後編はこちら↓

↓展示詳細↓

会期:2021年1月20日(水) ~ 2021年2月1日(月) ※最終日は午後5時閉場
会場:日本橋三越本店 本館6階 コンテンポラリーギャラリー



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