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私が「あわい(間)」を考えるようになった理由 ‪ #あわいメモ

そういえば、私が「あわい(間)」を考えるようになった理由を書いてなかったですね。ということで、ざっくりですが経緯をメモしておこうと思います。

以前は、「自分には特に社会に訴えかけたい問題が無いのでは」「イラストレーションやデザインで誰かのなかにあるものを形にする方が合っているな」と思っていました。

しかしある日、「今考えていることは、イラストレーションやデザインの枠に収まらないことかもしれない」と思い、美術作品の制作をしたいと思うようになりました。

最初に考えていたテーマは「場と間」「寛容とはなにか」という感じでした。けれど考えていくと(京極夏彦先生的な表現を借りるなら)「場はデジタルで、多分、間はアナログで連続性があるのではないか」と思うようになりました。

つまり場は0と1で表現されコンピュータで使われる二進数のように切り離されたものであり、間はもっと原始的でアナログでゆるりとしたつながりがあるものなのではないかと考えたわけです。

そこで、様々な疑問が現れました。

今の時代は「誰でも自分で居られる場所が必要」、「多様性を認めるべきだ」などの言葉が飛び交っていますが、その時点でもう切り捨てられているなにかがあるのではないか。
そしてその切り捨てられてしまったものは、あわい(間)にあるのではないか。

本来的な寛容や中庸を目指したいのなら、場ではなく間に目を向けていく必要があるのではないか。そう考えるようになりました。

これが私が「あわい(間)」をテーマにし、研究する理由のひとつです。ここで「一つ」と書き表したのは、書き表わす方法が言葉しかないからです。
特定の言葉を選んだ時点で、切り捨てられるモノが発生します。私はその切り捨てられてしまう部分・概念たちを、もっと知っていきたいのです。あわいに目を向けてみたいのです。

研究し始めたきっかけや、今書き溜めている‪ #あわいメモ の背景はこんな感じです。

どんな論になるかはまだ未知数ですが、いつか文章として発表できることを願って、また種蒔きをしていこうと思います。

文責:ナツメミオ

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ナツメミオ
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