#あわいメモ 臨床芸術(仮)をやってみる
ここ数ヶ月は、あわい研究の一環としてある実験をしています。思考実験じゃなくて、物理的にいろいろやっています。それが思いの外色んな示唆を与えてくれて、思考が深まっていっているような気がします。
それで思うことが色々あったので、まだまだ論にもなっておりませんが、覚書しておこうと思います。
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①禅は不立文字と言うけど、文字(言葉)だから不立なわけで、もしかしたら他の手段なら可立になる可能性もあったのかもなと、ふと思いました。
もしかしたらそういうところから禅宗美術が生まれたのかなーと思ったり。(禅に煌びやかさは不要と、美術品を排斥する派もあったような気がするけどうろ覚え…)
禅宗美術にあまり明るくないので、この辺はもう少しちゃんと調べてみたいところです。あわいにつながるものが見えてくるような気がしています。
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②今日は、「私が今やっていること(やろうとしていること)は『臨床芸術』と言えるかもしれない」と思うなどしておりました。
まだ感覚的にしか掴めておらず言語化が難しいのですが、現場(制作)を通して芸術を考え深めていく感じというか、考えて芸術をするのとは逆の行為というか…
ちなみに「臨床美術」はこういったもの↓だそうで、私の考えていることとは全く違う試みかなと。
でも間違えやすそうなので、なにか別名を考えたいところですね。
相変わらず取り留めがないですが、今日の #あわいメモ でした。
いつもありがとうございます!文献代や勉強代として使わせて頂きます。