大槻香奈的「未来」を考察する(ショートver.)
1. 『日本現代うつわ論』から見える、大槻香奈的「未来」とはなにか
2021年11月下旬、ゆめしか出版から『日本現代うつわ論1』が発売されました。
この本は「空虚とどう向き合うか」という側面を持っていますが、そこに留まらず未来への道が開かれていく本でもあります。
では大槻香奈の指す「未来」とはなんなのか。
本稿では、『日本現代うつわ論1』を通して見える大槻香奈の未来観について考察致します。
なお、私も制作に関わった人間ではありますが、あくまでもスタッフ目線ではなく「大槻香奈研究家」としての目線で、読み解きを試みて参ります。
2. 「未来」は後付けの概念
未来とは、人間が時間という概念を取り入れたことにより生まれたものと考えられます。
実際には「過去」「未来」という区分は存在しないのですが、「時間軸」というもので表した場合、前後に過去と未来があった方がわかりやすいのです。
図1. 一般的な時間軸
しかしながら大槻香奈の捉える時間は、ある意味で原始的な時間概念に非常に近いものと考えられます。つまり、過去は一瞬前まで現在だったものであり、時間は常に「現在(今)の連続」なのです。当たり前のことではありますが、案外忘れがちなことではないでしょうか。
図2. 大槻香奈的時間軸
ならば未来とはなんでしょう。時間の概念として捉えられることの多いはずの未来が、時間軸上に存在しないとなると、一体どこにあるのでしょう。
3. 時間軸上に無い「未来」とは?
私はここでひとつの仮定を立てました。未来は時間軸の関与しない別の次元に存在するものではないかと。しかし、全く我々と関与しないわけにはいかないものでしょう。
その前提を踏まえた上で、「未来」の姿を想像してみましょう。
便宜上、「未来とは【可能性】という樹に成る実のようなもの」という図式を立ててみました。
するとこのようになります。
図3. 可能性という樹に成る実が「未来」
可能性は、「良い(良く感じられるもの)/悪い(悪く感じられるもの)」の両面性を持った概念です。
この樹には良い未来(実)だけが成るわけではなく、よく熟れたもの、虫食いのあるもの、艶のよいもの、うまく育っていないもの、熟れすぎて落ちてしまったもの…など、様々な実が存在します。
この樹の栄養分となるのは、個々人の経験や思想・そして出会いなどであると考えられます。どのような栄養を摂取できるかによって、両面性のある【可能性の実(未来)】の種類や質、もしくは数を変えていくことが出来るのではないでしょうか。
すなわち、「今」をどう生きるかによって必然的に「(不要であると思われる)可能性が自動的に絞られ」、選択肢がよりクリアになると考えられます。
4. 「可能性という名の樹」を育てる
そして大槻香奈が何度も「未来」「今」という言葉を用いて『日本現代うつわ論1』を紹介するのは、「養分にしてほしい」という想いがあるからではないかと、私は考えます。
また、個々人が栄養分を摂取できるのは常に「今」です。だからこそ大槻は、ある時期を境に「未来」という言葉よりも「今」という言葉に重きを置くようになったのではないか。そう推測しています。
大槻は「はじめに」において、「うつわ的感受性」という言葉に表しにくいものを本を通して感じてもらいたいと記しています。
しかし大槻香奈研究家として見た『日本現代うつわ論1』は、「うつわ的感受性」を感じるだけに留まらない本であると考えています。
① 『日本現代うつわ論1』をきっかけに自らと向き合い
② どのような問いを立て
③ どのような「今」を生き、可能性という樹を育て
④ どのような「実/未来」を選び取っていくか
⑤ そしてこの①〜④のサイクルを自ら繰り返していくこと
このようなプロセスを経て、読者の中でなにか新しいことが始まることへの期待があるように思えます。
〈うつわ〉という概念を通して見た様々な問いが詰まった『日本現代うつわ論』。この本が皆様にとって良い出逢いの一つとなることを願います。
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※現在も考察を続けておりますが、大変長文になってしまうため、またどこかの機会で。
2021年12月 文責:ナツメミオ
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