心の穴がぽっかり空いていることに気づいたとしても、自分で埋めなければいけない。そんな悲しいようで温かい話
ふと、ウォーキングをしているとき、自分の心はぽっかり穴がいていることに気づいた。
昔から早く歩けるのが自慢だ。
だけど、もし自分と同い年か少し年下に、自分よりも早く歩ける人がいたとき、多分自分は早く歩くのを辞めてしまうだろう。と。
自分が強みだと思っていた領域で、優れた人に出会うたびにガックリするのである。
明らかに穴が空いている。
最初は勝負するかもしれない。でも全く勝てなくなると、あーあ⤵と泣きたくなるに違いない。
今までの人生がすべて、絶望まみれだった気がする。
2019年からブログを始めているのに、最近やっと100記事いったと思えば、後から始めた人は3ヶ月で100記事書いていたりする。
しかも、しっかり収益を出している。なぞ。謎でしかない。
絶望とか悲しみとか通り越して、自分にも相手にも怒りを感じてしまうほどだ。
だったらプログラミングでと思っても、エンジニア就職したら年下の子がめっちゃアルゴリズム得意で勝ち目なくて、泣いた夜もあった。
今はMBTIが好きで会った人を勝手に分析しているが、これも優れた分析を持つ人に出会ったとき、絶望するのだろう。
果たして。自分はなにで生きていけばいいのだろうか。
人がいる限り、永遠に勝てるものは存在しない。
一度、世界一になれたとしても、競争が好きな人に抜かされるだろう。
悲しい。誰かこの心の穴を埋めてくれる人はいるのだろうか。
こういうとき、寄り添ってくれるパートナーがいれば自己肯定感が高まると思う。
ただ、よく考えると、心の穴を埋めて欲しい人は重い人である。
当然、パートナーは疲れてしまうだろう。
よろしくない。
であれば、埋める方法は1つ。
「人と比較しない」
これに尽きるだろう。
少し派生して、自分の強みを信じ込まないことも大事な気がしている。
例えば、自分には早歩きで勝つことしか強みがないと信じていたら、優れた人にあった瞬間に人生終了である。
学歴もそうなのかもしれない。東大にいかなきゃ人生終了と言った感じで。
だから、結局は「あなたはあなたであることを意識する」しかない。
歩くのが早くて、MBTIが好きで、健康オタクで、完璧主義で、運動と歌音痴で、あざらしの抱き枕が好きで、BTSのバターを独自のダンスで踊るのが好きで、親しい人にちょっとお世話されるのが好きで、自分のことをちょっといい人だと思ってる人で、パーマかけてる自分がいいなって思ってる人で、天然なのって言われたことがある人で、調子がいいときは自分に酔っているような人で。って書いてると自分が可愛くなってくる。
自分で書いていて、「あなたはあなたである」って温かい言葉だなと感じた。
話が変わって、人は脆いのだろうか。
少なくとも、自分自身は脆い。
月に1回は、あーぁ⤵と落ち込んでいるはず。もっとかもしれない。
思い切り泣いて誰かに受け止めてほしいのになと思うが、いつも1人で泣いて寝ている。
というか、むしろ、パートナーにさらけ出せる自信すらないので、一生1人で泣いていると思う。
とはいえ、人間に泣くという行為があって本当に良かった。
じゃなきゃ、多分すでに人生終了しているだろう。
涙の数だけ強くなれるよ。という歌詞がある。
実感していないけど、今生きている事実から本当だと思う。
あーぁ⤵と落ち込んだら、絶望・儚さ・脆さ・無力さ・雑魚さ・自分に対するすべての感情、真っ暗なベッドの上でこれらをすべて心に流し込もう。
すると、泣くことができ、数分後には笑っているだろう。
心は振り子のようなものだ。
踊らされないようにコントロール力を身に付けたいけど、身に付くまではネガティブなら思いっきりネガティブに振り払うことで、必ずポジティブに戻ってくる。
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