見出し画像

釣りから学ぶ、あきらめの境地。

おはようございます。今朝も勢いで書きます!

私は40歳を過ぎた頃から、仕事以外のことで、熱中できることを求めて、色んなことに取り組んできた。

テニスから始まり、ランニング、富士登山、大型バイク、そして、今は釣りも楽しむようになった。ただ、これだけのことをすべて続けるのは難しいので、今は、テニス、ランニング、富士登山はお休み中である。

そして、このなかで、釣りは、他の物とは少し違った特徴を感じている。それは、釣りは、自然相手のために、自分が思うような成果(釣果)は、出ないことがあるということ。

テニスも、ランニングも、富士登山は自然相手のところはあるが天気予報などであらかじめ対処することができる、そして大型バイクも、必要な練習やステップを踏めば、ほぼ、そのとおりにできるようになっていく。

自分の努力が成果に結びつきやすいと言える。

それに比べて、釣りは、そうはいかないときがある。釣れるはずだと思って準備を整え、釣りに出かけても、まったく釣れないことがある。場合によっては、狙っている魚が釣れないどころか、まったく何も釣れずに、アタリさえないこともある。

そんな状況を2時間も続けていると、何をやっているんだ!?という心境になってくる。

しかし、逆に、思いもよらないほど釣果があがることもある。いわゆる入れ食い状態となり、釣り糸を垂らせば、すぐに釣れる状態である。これは釣りをしていると楽しい瞬間なのだが、想定外と言えば想定外である。

このように釣りは、経験を積んだからと言って、思うようにいくとは限らない。むしろ、ベテランでも思うようにいかないときの方が多いのではないかと思う。

そこで、思うのは、「あきらめの境地を、次に活かすこと」である。まったく釣れないときは、「自然相手なのだから、上手くいかないこともある」と諦めることの大事さである。

相手(自然)あっての釣果なので、自分の努力だけではどうしようもないことがある。これが、テニスやランニング、バイクとは違っている。これらがうまくできないときは、自分の努力不足が主な原因だ。なので、思うようにいかないときやうまくできなくても、諦めることにはならない。

しかし、釣りは違う。

ときには、諦めが必要である。この諦めるということも、釣りは教えてくれる。ようは、仕方ないのだ。

ただし、そういうあきらめの境地になっても、そのことを次に活かそうとすることは大事。それで、釣りを辞めることにはならない。いったんあきらめはするが、それで辞めてしまったり、投げやりになることもない。次に活かす。

これは、子育てや、仕事でのマネジメントにも共通することがあるように思う。

【絶対に、あきらめないこと】も大事だが、場合によっては、あきらめることが必要なときもあるだろう。ただ、大事なのは、それでも続けること。

すべてをあきらめないために、あきらめる時もある、ということだ。

ときには、あきらめることも大事にして、今日もステキな一日に。

いいなと思ったら応援しよう!