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マスコミって、なぁ。
おはようございます。今朝も勢いで書きます。
うーん、マスコミってなぁ、資本主義においてマスコミもビジネスにしなければいけないから難しいところはあるので仕方がないのだが、毒されないように気を付けなければいけないと思うことが多い。
一人の小学生が新聞へ投書したこの文章を見てどう思いますか?
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この小学生の視点は素晴らしい。それは間違いない。問題は新聞社がこの投書を利用して読者にどう受け止めさせようとしているのか?そこに意図を感じることがある。
Twitterでもこの投書がとりあげられていて「だから最近の老人は老害などと言われるんだ。」と受け止めている人がわりと多い。
それが新聞社の意図なのか?あるいは、特に何も考えずに紹介しているだけなのか?
このような投書には「本当にそんなことが起きているの?」と思うような極端な内容に感じるものもある。「でっちあげてないか?」と。
世間に害を与える人は高齢者だけではない。若者のなかにも害を与える人はいる。すべての人が善良な人間になるほど人類はまだ進化していない。ただ、害を与える人が少なくなっているような気がするのは私だけではないと思うが。
不良老人もいれば、不良青年もいる。
それだけのことである。それをこのような投書を紹介することで、まるですべての老人がこのような人間のように感じさせる。
また、もしこのような老人を目にすれば、そこで注意をすればいいだけの話である。
私が思うのはこのような投書を紹介するのであれば、同時に善良な老人がいることも投書で紹介して欲しいということ。
多くの老人は真っ当で善良な人なのだから。
なぜ新聞は世代間の対立を生むような投書を取り上げようとするのか?マスコミは社会をより良くしようという思いはないのか?マスコミの存在はむしろ対立や争いを生み、社会を悪い方向へ進ませようとしているように思う。
資本主義社会におけるマスコミなので仕方がないのかもしれないが。
だから余計に読者が冷静に受け止めなければ。
身近にいる老人を見れば分かると思う。「いつもやさしいおじいちゃんやおばあちゃんがいませんか?」、「親切なおじいちゃんやおばあちゃんもいませんか?」、「楽しそうにしていて一緒にいると楽しい気分にさせてくれるおじいちゃんやおばあちゃんもいませんか?」
身近なところにいるおじいちゃんやおばあちゃんを見れば分かると思う。この投書で紹介されているような人ばかりではないということを。
今日も冷静に社会をみてステキな一日に。