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翳に沈く森の果て #11 本
道
しばらくこの星空を眺めていないともったいないような気がして、疲れているのに璃乃は眠らずぼんやりと考え事をしていた。
こうやってどこだかよく分からない場所に辿り着いても、どんなに辛いことがあってもこれが必要な旅路で通ることになっている道だったとしたら?
ここに来てからの道のりをそんな風にも思えてきた。思おうとしているのか。とにかく、もしそうだとしたらそれは璃乃は自分の心が癒えてくるように思えた。
実はある人にそう言われたことがあったのだ。それは不思議な能力があるだった。「いつか、たくさん悩んだよね、そんな話してたよねって言って笑う日がくるから。これまでの経験があったから今がある、全部必要な経験だから大丈夫!」と笑いながら璃乃に言ってくれたのだった。誰の言葉なのかはわからないけれど、本当にそんな日が来るのだろうか?これまでのことも、今も、これからも何かのために長いネタ集めをしているようなもんですか?と聞いてみると「そうそう!」とその方は笑った。もしも本当ならば嬉しいけれど、それにしても長くない?もう疲れたんだけど。
璃乃は起き上がってテーブルに置いてあったキャンドルの明かりを吹き消すと、ふわりと煙が昇って独特の香りがした。不思議とおちつくものだ。すると虫の音が聴こえてきて、龍胆(リンドウ)の山小屋の天窓に犇く星空は一層輝きを増しいくつか星が降ってくるように思えた。
それから気がつくとすっかり朝になっていた。天窓を見る限り、やはりとても薄暗いけれど日が差しているようだ。ゆっくりと秋の夜が明けた。
「おはよう、璃乃。眠れた?」龍胆はまた香りの良いお茶の用意をしながら優しい顔で声をかけてきた。
「おはよう。うん、ありがとう。ここ、星空が本当に綺麗だね。夜以外はずっと天気が悪い感じだけどさ。」
「そうだね、だいたいそうなんだよ。それはそうとさ、ここにくるまでのことを聞かせてよ。」龍胆はまた温かい紅茶を淹れて目の前にそっと置いてくれた。
「ここに・・そういえば、なんでなんだろう。確か、駅に向かう途中で紫色の綺麗な紫陽花を見てたんだよね?いやちがう、気になってた森を散策しに行ったのか。それで・・帰ろうとして、崖下を少し覗いたんだよね。そこまでは覚えてるけど、その後は根の森にいた。暗くて、ホタルたちの明かりだけを頼りにひたすら進んでいったら、根の繭があって、小さな璃乃、ややこしいから繭って呼んでたんだけど。そう、ずっと頭の中で遠巻きに気にかけたまま向き合うこともできなかった繭と会ってね、ようやく話が出来て。なんだか不思議な気分だった。そこから繭が管理しているっていう暗い暗い根の森の洞窟を何日もかけて歩き回った。出られないかもしれないって怖さより、この世界はどうなっているのか?ってことが気になって仕方がなかったのと、しんどくてもできる限りの繭を訪ねてみたいと思ってひたすら歩いたよ。それぞれの繭の中にいた璃乃たちとその時のことを思い出して話を聞いたりしたんだよね。本当に辛かった。全部回れたのかは分からない。会ったけど話をできなかった璃乃もいたんだよね。それで、あまりにもぐったりして、どこかで行き倒れて・・そう、根の森の洞窟の底にある泉に落ちたんだよ。根の繭たちの中から流れ出た黒い膿が川みたいに集まって泉の底に溜まってたの。怖すぎるよね?そんな泉の中に落ちちゃって、洞窟だし水も冷たくて、息もできなくて終わったって思ったよね。ただそう思った時にホタルたちと繭が助けに来てくれたんだよね。それから繭に言われる通り、根の森の洞窟をようやく出たんだよ。洞窟の外側の山を登れって。それで登っている途中の丘から見下ろした夜の海が月明かりに照らされて、とっても綺麗だったよ。その黒い海を見ていると、地響きがしたんだよ。しばらくすると洞窟の上の森の奥の方から川なのかな?水が流れてきて、どうやら洞窟の天井に穴でも空いているのか、大量の川の水が洞窟内に注ぎ込んだみたい。それで洞窟内の根の中を川の水が一気に流れたと思うんだけど。もしかすると泉も一掃されたんじゃないかな?洞窟の中に流れ込んだ水は岩を抜けてさらに下流へ流れたあと海に流れ込んだみたいなの。そうしたら地響きと共に海にはいつの間にか渦ができて、多分繭の話していた通りなら川の水が根の世界の黒い膿なんかを洗い流してその海の渦に吸い込まれていったんじゃないかって思うんだよね。それからその丘の草の上で眠ってしまって・・目が覚めたらオオルリたちが現れて、彼らについて森の奥へすすんで行くと黒豹も現れて終わったと思ったけど、彼らについて、ここまで来たんだよ・・」
「そういうことだったんだ。お疲れさまだったね?璃乃。で、丘から海を見下ろしていたら洪水のように川の水が流れてきたって言った?」
「そうなんだけど、そういえば繭が『意図』すれば、とか言ってたような」
「ハハ・・そのとき意図したのは、僕だけどね?」
龍胆は笑いながらそう言った。
「え・・リンドウが、川の水を流したの??」
「そうだよ。璃乃が、根の森を何日も何日も巡って、とっても疲れたよね。ほんとによく頑張ったよ。ありがとう。本当に嬉しかったよ。だから僕が手伝った。璃乃がこの森のことを考えている時から、ずっと一緒だったよ。当たり前だけど。」
「リンドウが、手伝ってた?どういうことだかよく分からないんだけど・・
「ふふ。それが僕の仕事だ。つまり、の話はここじゃ分かりにくいからまたこの先で話し合おう。僕も全部わかってるわけじゃなし、璃乃と確かめたい。」リンドウはそう言ってまた少し笑った。
「最初から全部わからないことだらけだよ・・」璃乃は本棚に目をやると、「ねえ。本、少しみてもいい?」と席を立った。
「もちろん。璃乃の興味のある本とか、ノートとか取って置いたものたちだ。」
「ほんとだ。自然の本、色の本、雨の本、星空の写真集、宇宙に海の本。記念に撮っておいたお寺とか美術館の資料とか・・懐かしいな!譜面や書や建物やお料理本も。私、好きなものがたくさんあって幸せだな・・欲しい本を手に入れられるってことも、ありがたいことだよね。」
璃乃はいつもそう思っていたが、こうして集まっているところを眺めると改めて感じるのだった。
「璃乃、このノートも見てみて。」
龍胆は数冊の本を書棚の一番上から取って璃乃に渡した。璃乃はそれらを受け取り、一番上のノートを開いてみた。そこには璃乃の字で日記のようなものが綴ってあったのだ。所々璃乃の記憶のままの写真が添えられているページもあった。そうだ、こんなことがあったよな・・。璃乃はページをめくっていった。
「これ・・私のことだね?自分で書いた覚えがないけど、確かに自分の出来事が書いてある。写真も見た景色だよ?」
「そう、僕が書いたんだよ。」
「そうなんだ・・」
璃乃は根の森の洞窟で繭を訪ね歩いた日々に出会った璃乃自身と話すうちに思い出したいくつもの出来事と、目の前のノートの記録を含めて、こんなにも記憶から抜け落ちていることがたくさんあるんだな、としばらく自分の過去を辿る時間を過ごした。
「璃乃、結構生きたよね。」
「ほんとだよねぇ・・」形容する言葉が多くて言葉にはならなかった。
「午後、森へ出かけようよ」
龍胆はまた笑顔でそう提案してくれた。
続
ー美しい満月の夜にー