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翳に沈く森の果て #8 海

深草

しばらく遠くで聞こえる波の音と、心地よい風邪に包まれていた璃乃は安堵と疲労で深い草を寝床に寝落ちしていた。これまで暗く足場の不安定な根の世界の岩場を歩き、巨大な洞窟を出てから山を登ってきたのだ。地響きの中で海に現れた渦が消えるのを見届け、どのくらい経っただろうか。ここに来てから疲れ切って意識を失うように眠ったのも何度目だろう。璃乃はまた夢を見ていた。
 

 小学校の頃に描いた絵は二羽の鳥、鴨だったような気がする。実家で片付けをしていたときに見つけたレコードジャケットに描いた絵もなぜか二人の天使だった。「じゆうちょう」の一枚に鉛筆で描いた羽根が生えた馬の絵も出てきた。
 考えてみたらどうして鳥の絵を描くんだろう。というよりは、羽なのかな?

 そういえば、自分を振り返るのに何か役に立つかもしれないと、生まれ育った町、自分のルーツを辿ってみたいなと思って、数年前に辛い記憶が詰め込まれた家(璃乃が社会人になった後に両親が離婚して人手に渡った時に建て替えられている)から幼稚園、小学校、中学校、高校、大学を車でまわったことがあった。家は一戸建てで、とあるお寺の前にあった。璃乃の部屋は2階、階段を上がって左側の部屋で、窓からは前のお寺の生い茂った木々の緑が見えていた。

 小学生の頃、犬を飼ってほしいと強請ったが親は承知してくれなかった。ただ細かい記憶はないけれど、十姉妹(じゅうしまつ)を二羽飼うことが許されたのだった。真っ白のからだに桃色の嘴。とても可愛かったことを思い出していた。産まれる卵がとても可愛かったのをよく憶えている。いつか亡くなってしまった時に本当に悲しかったことも。果たして二羽の十姉妹たちは幸せだったのだろうか。小さな鳥籠に入れられて・・
 その亡骸をどうしてあげるのがいいのか子供ながらに悩んで、お寺の入り口にある小さなお地蔵さんがある祠の隣に穴を掘って埋めたのを思い出して、家の前を車で通ったあとにお寺の入り口に車を停めて二羽の十姉妹を埋めたところに手を合わせに行った。その光景を夢の中でも鮮明に思い出していたのだった。


  
 璃乃は自然と目が覚めた。

 朝? 

 仰向けに眠っていた璃乃の目に映ったのは自分の知っている曇り空とは少し様子が違うようだったが、海を見下ろし左の地平線あたりの雲間から太陽の光が射していた。明るい朝というわけではなかったが、暗闇の洞窟で数日を過ごした璃乃には労うかのような光がとても眩しく、久しぶりに見た感動で寝起きながらその美しさに自然と涙が溢れたのだった。

 あぁ・・少し何か乗り超えたかもしれない

 「うん。少しでも、いい。それでも。」

 璃乃はそう呟いていた。

 眠る前は辺りが月明かりだけだったのでそれほど見えなかったが、起きてみると山の途中の丘で力尽きた璃乃の周りを囲んでいたのはやはりたくさんの木々と草だった。そして、昨夜見下ろした海は、璃乃の知っているいわゆる海と変わりないもので、綺麗な青い色をしていた。海と眼下の森の境目は見えなかったが、雲間から届く太陽の光が波を僅かに光らせていた。海が大好きな璃乃はしばらく目の前に広がる海を眺めていた。

 旅には海ばかり選んできた璃乃はいつだったかどこかで潜った海の中でふと「帰ってきた、ここにいた」と不思議なことを思った時があった。それから海は璃乃にとって以前にも増してなくてはならないと強く感じるようになった存在だったのだ。

 真っ黒な根の世界の洞窟とは違い、波の綾と緑の香りと少し暖かさを感じられる空気に包まれたこの世界は璃乃の心を楽にさせてくれたのだった。璃乃の好きな森林公園よりも居心地がいい気がした。

 すると璃乃のすぐ近くで鳥の鳴き声がした。草の上に座ったままの璃乃は後ろを振り返ってみると、木の枝の上に青い鳥が鳴いていた。

 「かわいい・・」璃乃はゆっくりと立ち上がり、久々に自然と上がった自分の口角に嬉しさも増して青い鳥が止まっている木にわくわくしながら近づいてみた。深い青色の鳥は、おなかの部分が少し白いオオルリだった。じっと見ているとまた鳴いて、別の枝に飛び移った。するともう一羽のオオルリが別の枝から飛んできて、さっきのオオルリの近くに止まった。

「わ、兄弟かな?かわいい」璃乃は嬉しい気持ちになってしばらく笑顔でその二羽が鳴いているのを眺めていた。しばらくすると二羽のオオルリは順に璃乃の方へ飛んできた。
 「どうした??」
 二羽は璃乃の目の前に降りてきたのだった。そして璃乃を見つめながら小刻みに羽を動かしたり飛び跳ねたりした後、また木々の奥の方へと飛んでいった。璃乃はオオルリたちの飛んだ方へ着いていってみようと思い、木々の中へ入っていった。途端に豊かな土の匂いがして、璃乃は「森の世界」へ踏み込んだのだった。





次の満月に


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