幼少期の環境②
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正直なところ、幼少期の記憶はほとんど覚えておらず、小学生の記憶はかなり断片的で、中学、高校の記憶はほとんどありません。
特に大学受験の高校3年生の時期はかなり母親の調子が悪く、家事はもちろん自身の生活もままならないような状態だったため、初めは私が家事をして、自分の弁当作りもして、高校に通うということをしていたのですが、そんな生活は当然すぐに限界が来ました。
ある日突然限界を迎え、父親の前で号泣して「おばあちゃんの家に行かせてくれ」と泣きながら頼んだ場面だけを覚えています。
私が産まれて母親と初めて出会った時から母親は躁鬱の人だったので、常にアップダウンのある状態しか知らず、どのタイミングが躁で、どれが鬱なのかいまだによくわかってはいないのですが、
鬱状態の人間というのは、ほとんど人間の暮らしはままなっていない状態です。
ずっと横になっていて、ご飯ができたタイミングだけ起きてくる。お風呂もあまり入れず、歯もあまり磨けていないので、体臭もひどい。
おそらく鬱といってもいろんなタイプの人がいると思うので、みんながみんなそうではないと思いますが、私の母親は食事への執着心はかなりあるタイプでした。
しかし狭い家だったので小さなこたつテーブルで私が隣に座って食事をしなければならず、私は母親が起きてくる食事の時間が苦痛で仕方ありませんでした。
その場所は私にとって食事をするのにちっともふさわしい場所ではありませんでした。
私が祖母の家に行くことにったとき、母親は泣いていました。
私にとってそこで泣かれるのは重荷でしかなく、私が辛くて楽な方に向かおうとしているのに、それを泣いて止めてくる母親は、自己中心的な、私にとっては母親ですらなく、もはや人間でもないような、迷惑な、厄介な塊としか思えませんでした。
おそらくこの高校生くらいまでが私にとっては最悪の時期です。
私自身体調を崩すまでこの最悪な記憶に蓋をしてまるでなかったことのように暮らしていましたが、私の傷ついた心はここまでの時期に形成されているな、と今思います。
強烈な私にとっての母親像はこの時期のイメージです。
思い出すと疲れてしまうので今日はここまで。
次こそ大学生くらいまで書きたいと思います。