幼少期の環境

私の母親は躁鬱でした。
母親が19歳の時から、祖母との関係や人間関係の問題などから躁鬱の診断が出たそうです。

私が生まれたのは母親が28歳のとき。
その当時母親はかなり鬱の具合が悪いタイミングでした。
私も大人になって話を聞いたときそう思いましたが、母方の祖母はそんなタイミングでなぜ子どもを産むのかと思っていたそうです。

母は自分の躁鬱の原因とも言える母方の祖母との関係性もそこまで良くなく、父方の祖母は母に対して金の無心をしてくるような人だったそうで、私の幼い頃から父方の祖父母とは絶縁状態です。

父の稼ぎもそこまで良いわけではないので、いつも残業で稼いでいるような暮らしをしていました。

こうやって第三者の目で自分の養育環境を書いていて改めて気づきますが、躁鬱の母にとってそもそも子育て自体が困難であったことにプラスして、かなり味方の少ない環境であったことは明らかでしょう。

もちろんその環境でうまく子育てが回っていくはずがありません。おそらくあまり周りからの援助も受けられないまま子育てをしていたように思います。
母親は私と遊んだりすることができず、土日はほとんど父親と外に遊びに出かけ、家族3人で遊びに行くということはかなり少なかったように思います。
今昔の記憶を思い出そうとしても、母親との記憶はほとんど思い出せません。
私が幼い頃父親が仕事から帰ってくると、私は暗い部屋の中テレビを見ていて父親が声をかけても反応がないこともあったそうです。
あるのは父親と遊んだ記憶と外で友だちと遊んでいる記憶。



―――家。
私は昔住んでいた家に良い思い出がありません。
昔の家のことを考えると暗く寂しい嫌な思い出が襲ってきます。
大学2年頃まで私は2LDKの団地に住んでいました。
母親も父親も荷物を片付けられない人だったので、部屋は物で溢れかえり、身動きの取りづらい家でした。
ベランダに出る扉の横がキッチンだったので、ベランダに出ようとすると通路にはみ出た調理器具が邪魔で外に出づらかったり
洗濯物を取り込んだ後仕舞わずにそのまま放置するので、日々洗濯物の山の上に洗濯物がさらに積まれ、時間の経った床に近い洗濯物は汚いものという異様な空間が出来上がっていました。
特に水回りは母親の管理がずさんだったので、かなり汚く一番嫌いなスポットでした。
現在私は一人暮らしで家事も当たり前にしていますが、その当時皿洗いなどのお手伝いをやらされるのが衛生面的にかなりしんどく、本当にやりたくなかったのですがそんなことを言ったところで理解されることも許されるわけもなく、いやいやながらやっていた記憶があります。

私はこのnoteを自分の過去の整理のために書いていますが、改めて私の身の回りに起こっていたことの客観的事実を書いていると案外壮絶な幼少期だというのを実感しました笑

その当時の感情や記憶に蓋をして生きてきたことに最近まで本当に気づいていなかったので、自分が綴る文章を読み返して自分で驚くという不思議な感覚を覚えています。
今回は小学生くらいまでのお話。
次は大学生くらいまでについて書こうと思います。なかなか振り返ることには体力と気力がいるので、ゆっくり書いていけたらいいなと思っています。
あまり読んでいて楽しい内容とは思えませんが、続けていこうと思います。

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