幼少期の環境③
https://note.com/misono0701___/n/na9be045049d5
①はこちらから
祖母の家に行ってからの日々は、少し穏やかな日々になりました。母子関係は連鎖するので、私の母親の躁鬱の原因はこの祖母との関係性に起因するものなのですが、孫というポジションになるとまた違うのか、はたまた相性の問題なのかはわかりませんが、私は祖母のことが嫌いではありません。
祖母はちゃかちゃかと動いて1人でなんでもやってしまう、鉄砲玉のような人です。祖母自身の生い立ちもかなり複雑で、自分ひとりで妹2人の面倒をみてきたような人だったので、あまり養育者からの愛に触れずに育ってきたのかもしれません。
家事を気にする必要もなくなり、母親とも離れ、おてんばな祖母の家での借りぐらしの日々は楽しかった思い出です。たまに父親がやってきて、コンビニで買ってきた私の好物がたくさん入った袋を置いて帰っていきました。
結局大学受験にもあまり身が入らなかったのが、頭が足りなかったのか、センター試験はほとんどなんの役にも立たず、1教科の点数で入れる二次試験で受かった私立で心理学を学びました。
自分の興味で選んだと思った学部でしたが、結局選択に常に母親の姿がちらついていたのだなと思うと、なんとも言えない気持ちになります。結果的にここで心理学を学んだことは、後に自分の身を守る役にも立ったので間違いでなかったと今では思います。
大学入試が終わり、自宅に戻り大学に通う日々が始まりました。しかしやはりこの大学1.2年の頃の自宅での記憶はほとんどありません。
大学2年生の頃それまで暮らしていた団地から、一軒家に引っ越すという大きなイベントがありました。家を買うようなお金は我が家にはなかったのですが、母親の精神疾患に対して引け目を感じている祖母の、せめてもの償いとして、祖母は母に家をプレゼントしました。この出来事が他の姉妹からはよく思われず、トラブルを生む原因にもなるのですが、私にとってこれはすごく大きな転機でした。
私のまともな昔の記憶はこの頃から始まります。それまでの記憶は断片的であったり、まるっと抜けている時期があったりかなり安定しない部分がありますが、この頃からはっきりと家での記憶があるなという感じがします。初めての一人部屋にとても喜んでいました。
私は大学の臨床系のゼミの題材として母親の躁鬱のことを書こうかと思っていました。しかしゼミの先生には「あなたが自分の母親が躁鬱で"良かった"と思えるようになるまでは書かないほうがいい」と言われました。この言葉、私にとってはかなり衝撃的で、「こんなに散々迷惑かけられてきたのに母親が躁鬱で良かったと思える日なんて来るのか?!!?」とびっくりした覚えがあります。そもそもどういうことなのかその時の私にはちっともわからなかったし、今も十分理解できてるとは言えませんが、いろんな経験をするうちに、その過去があったおかげで今の私がある、「今、ここに、私がいる」と思えるようになるのかもしれないな、とまだふんわりですが感じるようになりました。
母親にこの話をしたことがありますが、「自分でもそんなこと思えないのに、(娘である私が)思えるわけないじゃんねえ?!」と言っていました。
だいたいここまでが大学までのお話。次は社会人になってからの話を書こうと思います。
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