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夜明け
友人にどこにいるのか聞かれて、私の内側、と答えた。
マルタでの生活も残すところあと一週間。
引きこもるんだ、(期待しないでくれ)という宣言通り、3分の2以上アパートの部屋で過ごしていた。
出発前から、飛行機の移動、さらには到着してからも、何の実感もなく、ただただ運ばれてきた感じだった。
思った以上に疲弊していた心。
今回は癒しの期間だと思って怠惰に気楽に本当に何もしないことを自分に許してはいた。
何の実感も意気込みもないままだったので、行ってから何もかもを考えようと思っていたが、唯一やろうと初日に思い出したことがある。
レイキのセルフヒーリング。
レイキのセカンドディグリーまで終了したのがもう2年前。
ファーストの時に課題が出ていた21日間の一日一時間のセルフヒーリング。あの頃、本格的な確定申告と勉強で一週間で挫折してしまっていたのが実は引っかかっていた。あの2年前。毎日明日までは生きよう…というかすかな光だけを頼りに、そして今まで2年間、毎日生きるだけで精一杯だった私は取りかかれないまま、だからこそなのかもう限界がきていた。
今回のマルタ滞在に一切の期待も高揚感もなく、ただただ強迫観念のようにここまで来た。
1ヶ月近く経った今、唯一来てよかったなぁと思うのはセルフヒーリングを21日間(途中1日疲れすぎて寝落ちでお休みした)やり遂げられたことくらい。
自分にベクトルが全然向いてなかった。向け方もわからなかった、一つの手法としてセルフヒーリング(そういう目的ではないと思うが)があるのは知ってはいても、どうしてもあの状況ではできなかった。そうやって無視しまくっていた。
つまり一度立ち止まることが必要だったようす。
普通の人ならば病気するとか事故するとかのっぴきならない事態を引き起こすはずだが、私は体に関しては丈夫なのと絶妙なバランス感覚でメンタルもギリギリ保つことができていた。が、あの「行かねばならない、今年中に」という強迫観念は、昔歯医者での退職エピソードから、周りを巻き込む地獄を味わわされる展開になりかねないと取り巻く雰囲気から警鐘を感じていたのだと思われる。
だって準備も全然できていなかったし、心づもりもまったく。なんなら今行きたくなかった。せめて英語の文法書一周してからとか思ってた。荷物詰め込む時も、前日にAmazonでアダプターとか色々買ってたくらいギリギリまで「あぁ、本当にいくのか。。。」と自分で作り出した逃げられない流れを憂いていた。なんでこんなことになってんだか。ウキウキワクワクぐらいで行きたかったよ!!と。
到着してから今日まで流石に何かしらはあったけれど外的なものはさほどない。
とりあえず21日間のセルフヒーリングを土曜日、新月の日にやり終えた。
初期は涙も流したし嫌な夢とか色々見た。寝た後泣きながら目が覚めるとかもあった。懐かしく思いながら。最後の方はもうやっつけ仕事だったけど、とにかく終えて、その翌日、もちろん終えた夜から思ってはいたけれど、ちゃんと目覚ましなしで5時半にすっきり目覚めたので、朝日を見にスリーマの沿岸沿いまで歩いた。
日の出5分前に到着し、無事に見れた。大きな感動というよりは、じんわりくるような遠くに見える朝日を眺めて、
「夜明け前が一番暗いんだよ、」と教えてくれた友のことを想った。
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そして今日、また朝日見がてら散歩と思って昨日の場所に行ったら、分厚い雲に覆われて昇る瞬間は見れなかった。いつでも見せてくれるわけじゃない、昨日見れたのは神様の修了証なのだと思えた。
帰るまでに気分が乗ったらまた書こうと思う。
とりあえず記しておく。
日記も書いているのだが、こちらの方が客観的に描写できるのがよろしい。
シャワー生活で足の裏がかつてないほどカッサカサだから料理用特大ボウルを使い足湯をしながら記しましたとさ
ごきげんようにゃむ
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ベランダから見える野良猫