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博士課程で得た専門知識以外のもの(3)

以前書いた

の続きです。

焦燥感と健全に向き合えるようになった

研究プロジェクトにもピンキリという概念があると思います。
学術・社会的に価値がある結果が出せて有名な雑誌に投稿できそうな
論文が書けそうなプロジェクトがある一方、そういった見通しはないけれど
気まぐれで始まったり利害関係があったりして、やらなくては
いけなくなるものがあるのも確かです。

前者を華プロジェクト、後者を地味プロジェクトと名付けましょう。
ちなみに、おそらくプロジェクトの多くは地味プロジェクトです。
なぜなら、やってみないと具体的な見通しが立たないことが
ほとんどですし、新しいことに挑戦した場合、大抵最初は
上手くいかないので、ドツボにはまって期待した結果が
得られないからです。

地味プロジェクトを掴まされてしまって苦労している博士学生は
わたしの周りに結構います。
というか、「地味プロジェクトを掴まされてしまった」と思っている
学生は結構います。
(今のわたしには他人のプロジェクトが華か地味か判断できる程の
 能力はないのでこの表現の方が適切でしょう。)
実際わたしも、これまで関わってきたプロジェクトは
地味プロジェクトばかりだなと思っていますし、何なら他人の
プロジェクトはどれも自分のものより優れているように見えて
羨ましく思うことも多々あります。

地味プロジェクトに取り組んでいる時の焦燥感には人を狂わせるような
恐ろしさがあります。
博士課程に進学をすることを自ら選んだという責任を感じながら
自分では意義を見いだせないと思うことにひたすら向き合うことが
求められます。

まるで、無駄に命を燃やしているような
まるで、自分にはひとつの価値もないような

そんな絶望に近いような気分で満たされて、自暴自棄になってしまう
ことすらあります。
つまり博士課程において、地味プロジェクトとの向き合い方は
潰れずに生きていくための自衛手段とほぼ同義なのです。


楽しみや学びはいつだってそこにあることを
自分自身に思い出させ続けなくてはならない

どんなことからでも学びはある

というのはよく言うことです。
問題は、言うは易く行うは難しという点でしょう。
特に落ち込んでいる時は簡単にこの基本姿勢を忘れてしまって、暗い方に
引きずられてしまいます。

博士課程を卒業した尊敬する先輩は、「地味プロジェクトに取り組んだ
ことで文章力が格段に向上したと思う。めっちゃ嬉しい。」
と言っていました。
いわく、ちょっと叩けば弱みが露呈しそうな、華々しくもない
結果だけを手に、それでも論文として何かしら形にしていく過程で
文章力が向上したそう。
この話を聞いたとき、わたしはこの基本姿勢を思い出してハッとしました。どんなやり方でも良いので、常々自分自身に実感を持って基本姿勢を
思い出させ続けることが大切です。

わたしは、少しでも良いのでプロジェクトに自分のエッセンスを
混ぜ込む努力をすることで、楽しみを見出すようにしています。
自暴自棄になっている時は、頭の中が疑念や憤りのような感情に支配され、
プロジェクトに対する自発性が疎かになって論理的にものを
考えられなくなっているように感じます。
自分のエッセンスを混ぜ込むというマインドセットで取り組めば
頭を使って作業できるようになるため、例え期待した結果が得られなくても
意味のある失敗になりますし、何よりプロジェクトが自分のものである
という感覚が得られてちょっと楽しくなります。
この楽しみはいつだって自分次第で得られるということを
自分に教え込むことで、基本姿勢を思い出すきっかけを
作るようにしています。


育てない限り、花は咲かない

華プロジェクトを掴んだことのないわたしが想像で述べますが、
華プロジェクトは最初から華なのではなく、地味プロジェクトが
育ってきて華になるケースもあると思います。
これを仮定すると、もし地味プロジェクト掴んでしまったと感じたら
自分にできることといえば、それをどうやって育てて華にするかを
考えることです。

思うような成果が出せずに焦りを感じることは、
学術研究に限らず様々な場面で体験されるでしょう。
どんなプロジェクトを任されるかということは、個人の希望や能力では
どうしようもない運で決まることもあると思います。
地味プロジェクトの全てが育てたら華プロジェクトになるわけでは
ありませんが、どんな芽も育てなければ花は咲きません。

そう信じて、わたしたちは今日もできるだけ楽しく
地味プロジェクトに取り組んでいくしかないのです。

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