推しの結婚で化け物を見つけた話

1か月前のある日、何の気なしにX(慣れないのでこの先はTwitterと記載)を
起動すると推しの名前が日本のトレンドに挙がっていた。

その事実に、まず単純に驚いた。

大変失礼な理由ではあるが、その人が出ている作品や演じた登場人物名が
挙がることはあっても、その人自身の名前が挙がることを(少なくとも私は)
これまで殆ど見たことが無かったからだ。

トレンドに挙がっている理由は見なくてもわかったが、取り敢えずフォローしていた推しのアカウントをタップした。
最新の投稿には[ ご報告 ]がアップロードされており、そこには結婚したことを知らせる内容が記されていた。

それを見た瞬間は祝福の感情が湧いた。

だが、そのあとすぐに心がざわつき、動揺していた。
なぜ動揺しているのか、頭で理解できても言葉に出来ない。
寂しいとか、悲しいとか、せつないとか、どれも近いようで、
どれも正しくない感じがした。

もはや私は、醜悪な化け物となっていた。
いや、もともと"化け物"だった自分にようやく気付いただけなのかもしれない。

その後は、他の人たちがどのような反応しているか見ようかとも考えた。
正直に言えば、自分と同じかそれ以上の"化け物"を見つけて安心したかった。

社会心理学的にはそれを【下方比較】というらしい。
化け物に社会だの心理だのが適用されるのかは知らないが、

しかし結局、実行に移すことは無かった。
Twitterにはその人への祝福の言葉で溢れていることは間違いないわけで、
仮に自分以外の それ を見つけることが出来たとしても、そんな行動をとっている自分の醜悪さを再認識するだけであり、それに耐えられるだけの自負心を持ち合わせていなかった。

私は推しについての色々を共有できる友人や仲間と呼べる存在は一人もいない。
SNSは情報収集で使用するだけ、作品は一人で鑑賞し、イベントは一人で会場まで足を運び、一人で楽しむ。
感想や意見を誰かと共有することはなく、自分の中で反芻して、それで終わりである。
私にとってそれは、徹頭徹尾私のためでしかない。

私がその人を知って、ファンになってからそれなりの年数が過ぎていた。
推しの作品に触れることで日々の活力を貰い、イベントがあればその時間を存分に楽しみ、明日もまた頑張ろうと思う。

長期間ファンで居続けた結果、信仰心のようなものがそこにはあった。
それが、今回の結婚発表を前にして揺らいでいたらしい。

それなりの年数を掛けて信仰心のようなものを培ってきた一方で、
自分にとって都合のいい"理想像"を勝手に作り上げてしまったのだ。
あまりにも身勝手極まりないことだ。

いままで推しから多くの影響を受けてきたが、ネガティブな影響を受けたことは一度もなかったはずだ。
私が推しの人生に何等か影響を与えたことはこれまで一度もなく、それはこれからも同じである。
あくまでも一方向のファン活動であり、それ以上でも以下でもない。

推しが結婚したことは私に何一つデメリットは無い。
かといってメリットがあるわけでもない。
私生活の一部分を報告しただけに過ぎないのだから。

今回の事は結局、
自分が勝手に作り上げた理想像と現実の乖離によってもたらされた感情の変化であり、
つまり、私自身の身勝手さが招いた状況に対して勝手に動揺していただけだった。

きっと、推しが活動を続ける限りこれからも私はファンで居続けるだろうし、もしかすると、この先のどこかで活動をやめてしまってもなおファンで居続けるかもしれない。

これからまたファンで居続けることで、推しから多くの活力を貰って生きていくことになる。
確固たる"信仰心のようなもの"を獲得したと思い込んでいる今の私にはそう思えて仕方がない。

ここまで整理してようやく素直に祝えたように思う。
なんとも身勝手で、自分本位でしかないが、それが私だった。

この度は、ご結婚おめでとうございます。
一ファンとして、幸せな時間が続くことを心より願っております。



「まだ動揺してるんじゃないのか?」
「素直に祝えたフリをしているんじゃないのか?」
「結局は影響を与えたかったんじゃないのか?」

否定の声をあげる私がいて、その否定を否定する私がいた。
結局私は、めんどくさいファンであり、厄介なオタクであり、
化け物だった、という話。

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