死にがいを求めて生きているの
朝井リョウ
5泊6日の旅行を共にした本
彼の書く小説は、リアルだ。この社会の空気、風潮、形のないものを言語化して見えるようにしてくれる。
文章が生きている。間と、抑揚から伝わる空気感。文章が生きると登場人物が生きる。
彼らは確実に肉体をもち、私と同時代を生きて、すぐそばで呼吸をしていた。
「生きがい」を求めて、常に達成するべき標的を定めて、それに向かって努力をしている“フリ”をする雄介。
周りは大手企業に就職して、結婚をして、家庭をもっていく。
韓国での徴兵、ボランティア活動、大学寮の自治運営の主張、それぞれ何かを目的(生きがい)とする姿を見ざるを得ない。
自分も何かを達成しなければ。
何かをやり遂げて、これをしました!世間に、社会に向かって、自分は生きている価値があります!と声を大きくして言わなければ。
彼は、まるで私だった。
まさに私だと思ってしまった。
なぜこうなったのか。
昭和の時代と異なる平成、まさに「平ら」で何も争い、対立がない時代へと変化した
相手との対立がなくなると、自分を評価できる場が失われる。
勝ち負けという明確な旗が無い今、自分を評価できるのは他者ではなく、自分自身しかいないのである。
中学時代、名のある大学付属の高校に合格しようと必死に勉強をした私。
高校時代、誰もが知る大学に合格し、就職活動に余裕をもたせたるために死ぬ気で勉強する私。
実のところ、本気じゃなかったのだ
そういう努力をしている風で、中身は伴っていなかった。
某有名私立大学を目指して努力をする自分
それを周りに知らしめたかっただけなのだ
だから落ちて、第2志望の大学に通うことになっている
今まで、本気で頑張ったことがあっただろうか
そもそも本気で頑張るとはどういうことだろうか
自分の命が関わったときしか、きっと本気を出せないのではないだろうか
大学で、私は何をした?何を目標に、何を敵として戦ってきたのか。
本の中の彼らは、無人島に行ったことで、生きる理由を見つけられたのではない
そうではなくて、
生きる理由を見つけられることを信じて無人島へ行ったのだ
私は、
バンジージャンプをして、人生が変わったのではない
バンジージャンプをすることで人生が変わると信じたかったのだ
私は、
海外に1人旅をしたから、1人で生きる意味を見つけたのではない
1人で生きる理由を見つけたかったから海外に行ったのだ
まさに私のこの旅自体が、後ろ指を指されているようで鳥肌が立った。
そう、1人でいることの意味を見つけたかったからだ
そんなことをする必要はないと誰かに言ってほしかっただけなのだ
答えを探しに行ったけど、見つからない。
探しに行くから見つからないのだ。
もう、既に知っていたのではなかったか。
私は1人で生きていけないこと
人は誰かの為にしか生きれないということ
人は相手の幸せを願うことでしか生きれないということ
今の時代を生きる上で、誰もが向き合わざるを得ない問題を浮き彫りにする朝井リョウ。
私はまだ、考え続けたい。
私はまた、朝井リョウの言葉に救われたい。