子供

私には子供がいない。
「まだいない」と言うべきか、「これからもずっといない」と言うべきかは、知らない。
子供は好きだし、宇宙人みたいでおもろいし、何故か子供に好かれる事もある。
いたら、楽しいだろう。
いなかったら、今の自由で何も困らない暮らしをずっと続けられていい。

今日は産休中の先輩が久々に職場へやって来た。
生後半年程の赤ちゃんと共に楽しい時間が訪れた。
赤ちゃんは目をキョロキョロさせて状況を確認していたが、沢山のおばちゃん達にチヤホヤされ抱っこされほっぺを触られ足のサイズをニマニマ褒められているうちに泣いてしまった。
泣いたら泣いたで周りが喜ぶので余計に泣いていた。
「そんなに泣かなくてもいいのに〜」と言われながら、おっぱいがもらえるまで顔を真っ赤にして泣いていた。
面白かった。
私は赤ちゃんの泣き声が全くストレスでないタイプなのでその状況を終始眺めながら終わらない書類を纏めたりしていた。


そしてこの空間でいつも私は密かに存在する“気遣い”を感じてしまう。

結婚して5年、子供がいない私に対して、その話題を降らない方がいい、という空気。
「子供はいつ?」「子供の予定は?」「あなたもいつかはね、」
2年前くらいまでは「あなたも子供ができたらわかるよ」みたいな言葉は割と普通に使われていた気がするが、年々、そのワードは密かにNGにされているのを感じる。

私が赤ちゃんのいる場を遠くから眺めていたのは子供ができなくて悔しいからではなく、事務作業がなかなか終わらないからであり、
お昼はワイワイした場を離れたのも、赤ちゃんがいる場で人が密集するのはこのご時世柄心配だからなのだが、
親子が帰った後に「あ、ここにいたのね、(なんかごめんね)」という言葉を貰う。


世の中の女性は結婚し、子供を望むのが当たり前の流れである。と
平均年齢が44歳の職場で唯一20代、25歳の私もまたその一員であろうという空気を感じてしまう。

自意識過剰な被害妄想だと思っていたいが、今日に限らず子供の話題が出る度に、言葉の端々に感じる気遣いが、私を殴る。

いっそ事細かにインタビューでも受けて、全員に私の意思でも発表すればこの暴力的気遣いは消えるのだろうか。

いっそ「子供ができなくて悔しい思いをしている女」という設定で役を実行すれば嫌ってくれるのだろうか。

感じなくていいストレスをほんの少しずつ感じるのは女性の人生がそうである為の宿命なのだろうか。

私は何に押し潰されているのだろうか。

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