笑う

昔からゲラだったと思う

遠い記憶だが父はよく面白い事を言っていたし、姉とは下品な事ではしゃいでいた気がする。
逆に母は私の言う事でよく笑っていたから、私も面白い子だったのかもしれない。
チップとデールのビデオ(VHS)を何度も巻き戻して観ては同じところで笑い続けてた。
ひとりで笑ってる事もよくある。
予想外の事や理解が追いつかないカオスなどが面白くて仕方ないのである。

特に笑うことに対して意識することはなく生きていたが、小4くらいの時に
「あなたの笑った顔がキモいって◯◯ちゃんが言ってたよ」とリークが入った。
◯◯ちゃんはちょっとヤンキーな家柄の子で、髪を染めていて、公園で犬を叩いたりしていた。

今思えばそんな情報を伝える人もどうかしてるというのが世論だが、当時はそんな価値観もなかったので私は素直に受け取った。

私の笑った顔はキモい。

鏡を見た。
重たい一重で瞼は分厚く、笑うと膨らむように閉じる。
生まれつき目の下にはクマがあり、笑うとたるみのようなシワも出る。
開く口は、前歯を見せるような動きで、”ニコッ“よりは”ニヒッ“というようなイメージ。
歯茎がよく見える。

私の笑った顔はキモい。

初めて知ったし、ショックだった、なんで気が付かなかったんだろう。

それから私は笑う時に顔を逸らしたり、口元を隠すようになった。
それが私の正しい笑い方だと思ったから。

ゲラは直せないので笑うことには笑うんだけど、笑い方を控えたり、回数が減ったり、口元を隠すしたり、“笑う”という自然な行動に自作のマナーが参入した。


高校時代の私はあまり笑わなかった。
学校が苦手で、インターネットでは不幸自慢が美徳だったから、流行りの鬱にドップリと浸っていたのだ。
死にたくもあったし、笑うのは皮肉なものに対してだった。

専門学校へ進学してもあまり笑わなかった。
またしても学校は苦手なもので、笑うのは愚痴を言うときだった。
死にたさは変わらなかった。

バイトを始めた私は、仕事として笑い始めた。
営業スマイルである。居酒屋だったが、テキトーにやってもよかったものを、
根が真面目な私は「笑顔でいなくては」と思っていた。
バイトを初めて1週間、変なほうれい線ができたのを覚えている。
カチカチになっていた表情筋を急によく使うようになったからだと思う。

バイトは楽しかった。
年上の先輩達をあだ名で呼んでよかったし、面白い人がいっぱいいたから。
私がゲラだと気づいた先輩達は、あの手この手で私を笑わせて愛の営業妨害をしてきた。

また私のゲラが復活したようだった。
バイトの間はなんでも面白かったし、楽しかったから学校と違って苦手じゃなかった。
よく笑う私を好きになってくれた先輩や店長からアプローチを受けたりした。
笑うだけで色々うまくいってるような気がしてた。

よく笑う私を好きになってくれた人と付き合った。のちの夫である。
あまりにも笑う私を嬉しそうに見、
「やっぱ付き合うならゲラだな・・・」と彼は言う。

社会人になった。
人と接する仕事だ。
初めに就いた職場は学校みたいだった。負の感情しか持てなくて1ヶ月半で辞めた。
転職して今は高齢者によく接している。

高齢者はいい。
私が若いってだけで嬉しそうに話してくれて、独特な言葉が出てきたり、話が意味わかんなかったりして面白い。
顔がしわくちゃでシミだらけでイボやヒゲがあるおばあちゃんの前だと、自分の重い一重やクマなんかはしょうもないコンプレックに思えた。
それと、おばあちゃん達は目も悪いし、この笑顔がよく見えていないだろうから楽だった。

だから私はなーんにも気にせず、重たい一重でクマもシワも歯茎も見せて笑った。
なんか、とっても楽だった。

楽だから、誰の前でもそうやって笑うようにした。

多分、笑った顔はキモいままかもしれない。

うるせえ、この世が面白いのが悪いんだよ。


今でも笑う時は口元を隠したくなることがある。
ありがたいことにマスクをしなければならない情勢なので、口元を隠す手はなくなったけど、目はマスクから出ている。
それでも私は全力でくしゃくしゃに笑う。

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